7月19日の、「aki」さんの2つのコメントを拝見した。
率直な意見で、とても、参考になる。
このブログを真剣に読んでくださる方がいることに感謝したい。
思いつくままに、私の考え方を書かせてもらうことにする。
私は、陽明学の創始者の王陽明の人生の捉え方が正しいと思っている。
「人生とは、喜怒哀楽に尽きる」という考え方である。
人間の本質から、喜怒哀楽という感情が人生そのものだ、と捉えるわけである。
その時々の出来事に、喜怒哀楽の感情が湧いてくるのは自然なことである。
その意味で、主観を相対的に捉えるakiの考え方は正しいと思える。
この点について、それをそのまま受け入れていいのか、という問題意識が生まれる。
この問題意識は、人生を意味のあるものにしようと考えることから生まれる。
時々の感情に左右されることは、人生を意味あるものにしないと考えるからだ。
人生を意味あるものにするには、時々の出来事に動じないことが必要となる。
その様な人間になることを修養といい、これを身につけることを学ぶという。
儒教や朱子学は、「修己治人」というリーダーになるための人間修養の学問である。
自然状態では相対的な主観を、社会を進歩させるために絶対的にしようとするのだ。
西郷隆盛が、自殺しようとした弱い自分を修養するためにしたことがある。
刀を天井に吊るし、その刀が自分を貫くのを想像し、それを受け入れる訓練をした。
自分の影の部分である弱さを自覚し、それを光という強さに変えるために努力した。
弱い部分を「そのままでいい」と思わず、強い自分に「変わろう」としたのである。
「そのままでいい」か、「変わろう」か、は人生の選択である。
この選択に良し悪しはない、それぞれの人の自由である。
したがって、「そのままでいい」と思うことは、ひとつの選択として尊重したい。
また、同じ人でも、事柄により、時期によって、選択が違ってもおかしくない。
あるときは「そのままでいい」とし、別の機会で「変わろう」とすることはあるだろう。
このブログで言いたいのは、人生、少しでも意味あるものにして欲しい、ということだ。
人間は考え方によって、人生を意味あるものにすることができる。
その様な人生は楽しく、喜びに満ちている。
こういう人が増えて欲しいと思って、このブログを書いている。
このブログは、考え方を変えられる状況にある人を前提としているともいえる。
悪い状況にあるときに、「そのままでもいい」と考えるのは、一つの知恵である。
良い状況に変えられない環境にいる場合に、その中で心に平安をもたらすからだ。
環境が変化したら、良い方向に変えるように考えて欲しいのである。
人生は循環する傾向があるから、一定の方向で循環することになる。
良い方向で循環する場合には、良いことが次々に起こるものである。
同様に、悪い方向で循環する場合は、これでもかという具合に悪いことが続く。
この場合、悪い循環を一気に良い循環に変えることは難しい。
悪い循環の回転を少しづつ減らし、最後に、その回転を止める必要がある。
その上で、少しづつ、良い循環を始め、いつしか、良い循環の回転を早くする。
したがって、「悪い」→「そのままでいい」→「徐々に変える」という順序になる。
意志の弱い人も、それなりの順序を踏めば、良い循環を創れるのである。
このブログの対象イメージの意志が弱い一般の人を前提としてのことである。
その意味では、このブログの言葉は、すべての人に適用できるとは考えていない。
「一隅を照らす」のが国の宝だという観点から、「このブログに少しでも意味を
感じていただける人がいたら、ありがたい」、そう思って、ブログを書いている。
人生に意味を持たせ、楽しく、喜びに満ちた人生をイメージし、
それに近づくために、どう考えたらいいのかを模索することに、
このブログの存在理由があることが確認できた気がする。
この点で、「aki」さんのコメントに、感謝したい。
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