先ほど、司法試験の不合格者にメールを書いた。
当事務所でエクスターンシップという実務経験をしたロースクール生にである。
当事務所の担当弁護士から、不合格の報告をきいたので、縁もあることなので、
私の著書「稼げる弁護士になる方法」を贈ってもらった。
そのことに対するお礼のメールへの返信を書いたのである。
この本の中で、「チャンスはチャンスの顔をしていない」と書いた。
この点を取り上げて、激励のメールを書いた。
このメールの要点は簡単である。
「司法試験の不合格は、チャンスの顔をしていないチャンスだ。」
では、どうして不合格がチャンスなのか?
人生の目的と目標の違いが分かれば、チャンスであることが分かる。
司法試験の合格は、人生上、ひとつ目標であるが、目的ではない。
では、人生の目的とは何か?
両親に生んでもらったことを本心から感謝できる人生を送ることである。
何が起ころうと、揺らぎのない喜びに満ちた日々を送ることである。
さらに、言葉を変えれば、永遠につながる喜び・幸福な日々を送ることでもある。
これを、安岡正篤師は、「喜神」と呼んだものである。
試験の不合格で、悲しみや落胆があったのでは、人生の目的に反する。
むしろ、今回の不合格で、人生の目的が分かるチャンスを得たともいえる。
そのため、不合格はチャンスの顔をしていないが、人生上最大のチャンスなのだ。
人間は面白いもので、重要なものを忘れ、より小さなことに心が捉われる。
試験の不合格は、人生の目的からすれば、微々たるものである。
それによって、人生の目的には影響しない。
弁護士等の法曹になりたければ、また、挑戦すればいいだけのことだからである。
試験の不合格は、試験の合格という目標からすれば、チャンスを逃したことになる。
この目先の目標に捉われると、試験の不合格は、チャンスの顔をしていないのだ。
目標面でチャンスの顔に変えるには、不合格を反省し来年に備えることだ。
これもひとつの捉え方であり、それ自体問題は無い。
人生の目的を忘れて、人生の目標だけにとどまっているのはもったいないことだ。
試験の不合格の機会に、人生の目的を考えると、本当のチャンスの顔が見えてくる。
この顔が見えると、人生が豊かになり、また、そのスケールが大きくなるからだ。
人間は、人生の目的を考えた生き方をするために生まれて来たのである。
人間として生まれたのには、それなりの意味があるはずだからである。
最終的には、人間は、揺るぎない幸福な人生を送るために生まれてきたのだ。
その意味では、自分を苦しめる生き方は、人生の目的に反する。
試験の不合格ごときを大げさに考えるのは、人生の目的をもっていないからだ。
真の人生の目的を持てば、不合格でも、幸福感は微動だに影響を受けないはずだ。
この点こそが、試験の不合格で最も学ぶべき点である。
司法試験、不合格でよかったですね、といいたいのである。
私が現在、少しはまともな人間になったのは司法試験の不合格があったからだ。
そのことを知らせたくて、メールを書いたのである。
最近のコメント