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2009年6月30日 (火)

マイケル・ジャクソンの死の?

マイケル・ジャクソンが死亡した。

まだ、50歳の若さである。

それでも、彼なりの1つの人生が完結したことになる。

                               

医者で京都大学総長だった故平澤興先生は言っている。

「60代に入ると、・・・・楽しい人生修行が始まる。」                           

マイケル・ジャクソンは、楽しい人生修行を始める前に人生を終えた。

               

彼は、社会的には、富と名声を得た成功者だった。

しかし、個人的には、幸福とはいえなかったようだ。

我々は、これから何を学ぶかが重要である。

              

マイケル・ジャクソンにとって、楽しい人生だったのだろうか?

楽しい人生修行に入る前に亡くなったのだから、

本当の楽しい人生を味わうことなく人生が終わったのかもしれない。

                                       

後悔のない人生を送ったのだろうか? 

これは本人しか分からないことだろう。

でも、オバマ大統領の出現で、整形したことを後悔しなかったろうか?

整形前の彼の写真を見たが、自然で魅力的に見えた。

                                         

死因の謎より、前の2つの?の方を知りたいものである。

                

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2009年6月29日 (月)

二度とない人生に後悔しない生き方を

人間には、いろいろな共通点がある。

人間は、生まれたときから死の種を宿している。

人間は、死ぬまでは、無限の可能性がある。

人間は、考え方ひとつで限界を超えて可能性の花を咲かせることができる。

                            

人間と捉えず、自分と捉えると、世界に、ただ一人の存在となる。

ただ一人の自分が人間に共通の特性を使って生きる。

これが、自分の人生である。

               

人生には、人間に共通の特性と自分の考えで創造する個性が現れる。

後悔のない人生を送るためには、このことをよく理解する必要がある。

まず、人間に共通の特性を理解することだ。

そうすることで、人間の限界と限界を超える可能性の中で人生が決められる。

                    

人間は必ず死ぬという限界をもっているから、人生は二度とない貴重なものとなる。

貴重なものである以上、後悔のない生き方がしたいと考える。

人間は考え方一つで限界を超えられるから、後悔のない考え方を選択する。

喜びに満ちた生き方をとるか、行き当たりばったりの生き方をとるのかの選択だ。

何をもって喜びとするかも、自分が選択できるものである。

           

仕事に生きるのもいい、趣味に生きるのもいい、恋に生きるのもいい。

自分の楽しみを実現する人生もいい、人の役に立つ人生もいい。

人に役に立つのでも、いろいろな選択肢がある。

医者、学者、経営者、菓子職人、歌手、数え切れない選択肢がある。

           

医者でも、無限といえるほどの選択肢がある。             

このような選択が、自分の人生を創造し、自分の人生の個性を決定する。

いずれにしても、自分の「考え」を活用して、後悔のない選択をすべきである。

                

退職後に、つぎのような後悔の言葉を言う人がいる。

「何のために自分は生きてきたのだろう。振り返ると虚しい。」

          

このような後悔は、自分の人生を考えなかったことによる。

自分なりの人生を考えれば、このような後悔はしない。

むしろ、このような後悔をしないために、人間の考えを活用するからだ。

               

まず、人間に共通の特性が自分にも備わっていることを理解する。

次に、自分の考えによって、自分なりの人生が創造できることを知る。

その上で、無限の選択肢の中で、自分の考えによって自分らしい人生を選ぶ。

こうすれば、自分で納得した人生を送れるのだから、後悔しないで済む。

                  

多くの人の人生には、人間に共通の特性と自分の考えによる個性がない。

人生を真剣に考えた時期がなく、流されて生きるからである。

自分が考えない限り、自分らしい人生を送ることはできない。

                                            

               

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2009年6月28日 (日)

ヴァイオリンのレッスンで、小児マヒが直った

著名な音楽教育法であるスズキ・メソッドの創始者は、故鈴木鎮一氏である。

入門希望者には、試験もせず、無試験で入門を認めたという。

すべての子どもには、無限の才能があると考えていたからである。

むしろ、才能は天賦のものではなく、環境から育つと考えたからである。

           

同氏の著書に「愛に生きるー才能は生まれつきではない」(講談社)がある。

その書名から、子どもの無限の可能性を前提としていることが分かる。

できの悪い子どもでも、日本語を話せる、これは素晴らしい能力ではないか。

そのことが子どもに無限の可能性がある証拠と考えたらしい。

                    

子どもが日本語を話せるようになるのは、繰り返しによる。

そのため、スズキ・メソッドでは、繰り返しが重視されるという。

          

小児マヒの子どもが、ヴァイオリンのレッスンを続けた。

その結果、小児マヒが直った例があったようだ。

ヴァオリンのレッスンが、意図せざる治療法だったのである。

                

盲目のピアニスト、辻井伸行さんも、人間の可能性を教えてくれる。

人間は、我々が考えている以上に、素晴らしい存在ではないのか。

日常に追われ、自分がその素晴らしい存在であることを忘れていることが多い。

我々は、人間に素晴らしい能力を与えた大自然にそむいているのかもしれない。

                                                                              

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2009年6月27日 (土)

株主総会で、至福の日を味わった

昨日で、今年の6月総会が終わった。

今年、ある会社の株主総会に集中的に時間を使った。

不祥事を起こした企業であるが、再建の出発点となる総会だからである。

                

株主総会の前日まで、役員等は総会の所要時間は3時間超を覚悟していた。

そのための準備に十分に時間をかけた。

ただ、私は、総会の所要時間は、2時間前後で終わるだろうと予測していた。

                 

その理由は簡単である。

今度の総会で選任される新しい経営トップが株主に信頼されると思ったからである。

                       

不祥事は過去のことであり、それに厳正に対処することで株主は納得する。

総会では、厳正に対処することの会社方針を信頼されれば良いことになる。

問題は、その企業の存続と未来への明るい展望があるかである。

この点での核となるのが、経営トップに信頼感がもてるかによる。

                  

今回、準備を通じて、会社建て直しの処方箋は見えやすい会社だと分かったし、

新しい経営トップも、その点の改善を理解し、実行する意欲があると知った。

その点が総会で一般株主に伝われば、総会は円滑に行くと実感したのである。

この究極の要点がつかめれば、株主総会の運営自体は難しいものではない。

           

実際の総会は、スムーズな流れの中で、1時間40分で終了した。

総会での質疑応答に、新任の取締役である新社長候補に答弁していただいた。

その新社長候補の発言にうなずく株主が多かった。

新社長候補の答弁終了後、株主席全体からの大きな拍手で会場が包まれた。

                    

このとき、私にも、熱いものがこみ上げてきた。

この企業は、株主の熱い支持の下、再生へ新しい出発ができると思ったからだ。

それにささやかな貢献ができたことが、弁護士としての最高の喜びだからだ。

弁護士が天職であると思えるのは、このような時である。

                     

株主の目に触れないところで、大勢の人たちの支えによって成り立つ。

それが株主総会である。

その人たちの力が1つに結集した成果が、円滑な総会運営になるのである。

                            

この株主総会の終了後、役員、大勢のフタッフから喜びの声が溢れていた。

株主総会場を後にする際の気持ちは、爽快であった。

「総会だけに、爽快だった」という駄洒落が飛び出しそうだ。

               

人の役に立ったと思えること、そのために尽力すること、

それが本当の生きがいであり、幸福な人生であると実感した。

昨日は、我が人生の至福の日だった。

                                       

                

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2009年6月24日 (水)

6月25日の長嶋茂雄氏からのプレゼント

明日は、6月25日である。

明日と明後日は、朝からやることが多く、ブログを書く時間がとれそうもない。

そこで、明日書くべきものを、今日、書くことにした。

             

では、6月25日にちなんで、書くことは何か?

直接的には、プロ野球の長嶋茂雄氏のことである。

1959年6月25日に、当時の長嶋選手は、阪神戦でサヨナラホームランを打った。

昭和天皇・皇后が初めてプロ野球を観戦した天覧試合でのことである。

              

この天覧試合での長嶋選手のサヨナラホームランはプロ野球の歴史を変えた。

当時、プロ野球の地位はそう高いものではなかったようだ。

ところが、この天覧試合での長嶋選手のサヨナラホームランで、

プロ野球が一躍、国民的な人気スポーツになったのである。

                 

このようにプロ野球の歴史を作ったのが長嶋選手であるが、

今日は、その陰の脇役を紹介したい。

それは、イメージであり、イメージが歴史を変えた名脇役であるということだ。

                

長嶋選手は、天覧試合の前の日に、あることをしていた。

それは、現在のスポーツで用いられているイメージトレーニングである。

翌日の天覧試合で、自分がサヨナラホームランを打つ姿をイメージしたのである。

このイメージどおりに、翌日、長嶋選手は、サヨナラホームランを打った。

                     

サヨナラホームランの姿をイメージし、実際、それを実現した長嶋選手は主役だ。

しかし、長嶋選手はイメージという名脇役がいたために、主役になれたのだ。

この名脇役であるイメージを我々も活用できる。

我々も、この名脇役を活用すれば、人生において主役になることができる。

         

人間の特権として、我々は、思考やイメージを用いて、望みをかなえられる。

思いや考え、そして、具体的イメージは、その通りの現実を創り出せる。

このことが理解できれば、楽しい思い・考え・イメージで楽しい人生を創れる。

6月25日の長嶋選手のサヨナラホームランは、そのことの象徴的出来事なのだ。                      

                

それが言いたくて、今日は、6月25日を取り上げた。                

6月25日の長嶋選手のサヨナラホームランからのプレゼントをもらった。

楽しいイメージから楽しい人生が送れるというメッセージ付である。

このプレゼントは、1959年からであり、時間の壁を越えている。

                      

                                    

                  

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2009年6月23日 (火)

23日は、日産の日?

今日は、6月23日。

何も考えないと、単なる日付。

ところが、人間はこれに意味づけをすることができる。

それによって、単なる日付に大いなる意味がでてくる。

  

たとえば、23日に意味を持たせようとする。

23は「に、さん」と読むから、それを「兄さん」と読むことができる。

つまり、毎月23日は、「兄さん」に日とすることもできる。

これだと、社会的な盛り上がりがなさそうだ。

        

「に、さん」から、直感的に思い浮かべるのは、「日産」。

これを日産が宣伝に使い、毎月23日は「日産の日」と命名する。

毎月23日に、日産が特別なサービスをする日とするのである。

               

このテレビコマーシャルを積み重ねていけばどうなるだろう。

毎月、23日になると、多くの人が「日産の日」だと日産を思い出す。

私にとって、1月、5月、9月の各28日が特別な意味を持っている。

「しょう、ご、く」と呼ばれている好運な人生とつながる縁を作る日だからだ。

                  

命日、誕生日、結婚記念日、創立記念日など、日付に意味を持たせることが多い。

個人的にも、自分なりに日付に縁起のよい意味づけをするといい。

「縁起のよい」という考えの中に、すでに縁起の良い人生を送る種がまかれている。

              

縁起の良い人生を送る種がまかれたのだから、種どおりの稔りのある人生となる。

つまり、縁起のよいという稔り豊かな人生を送ることになる。

人生を豊かにしたいのならば、ものごとに良い意味づけをすることが重要である。

             

たとえば、今、私の座っている机の右上に、ミッキーマウスの置物がある。

このミッキーマウスは、右手に魔法のステッキを持っている。

この置物は、ディズニーランドに行ったときに買ったものである。

これを単なる置物と考えるか、意味あるものと考えるかが重要である。

               

私は、このミッキーマウスの置物には、2つの意味づけをしている。

1つは、ディズニーランドを思い出すという意味づけをしている。

このミッキーマウスの置物を見ることで、ディズニーランドを思い出す。

そうだ、人生は夢と冒険とファンタジーの世界だ、と思い出し元気になるのだ。

              

もう1つの意味づけは何か。

自分の心にも、ミッキーマウスの持つ魔法のステッキがあると確認するのである。

この魔法のステッキは、どんな夢でもかなえてくれるものである。

これは、自分の心に備わっている無限の可能性を表していると捉えるのである。

                     

人間は、考える力があるから、いろいろなものに意味づけをすることができる。

幸福な人生を送るために、良い方向で、この意味づけを活用したいものだ。

               

今日は、昨日でも、明日でもない。

悔いがある昨日を忘れ、新しい出発をする日である。

不透明な明日を輝けるものに変える日でもある。 

今日の充実が、昨日と明日を意味あるものにする。

           

このブログを読んでいただいた縁に感謝します。

                                                   

           

                 

               

                  

                  

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2009年6月22日 (月)

昨日は父の日だった

昨日は、父の日だった。

朝、息子から、思いがけないプレゼントをもらったので、分かった。

ブックカバー、ハンカチ、扇子の3点セットのプレゼントである。

          

ブックカバーは、私が本好きなのを知っているからだろう。

ハンカチも、汗をかきやすい私の体質を知っているからだ。

扇子のプレゼントには、驚いた。

                  

私の向島好きなところがわかっているからであろう。

今まで、いろいろな方から扇子をもらっているが、男性からもらったことはない。

しかも、息子からもらうとは。

いささか複雑な気持ちではあるが、ありがたいと思って受け取った。

                

今日は、平澤興先生の素晴らしい言葉を紹介したい。

医学者で京大総長だったが素晴らしい語録を残されている。

(同先生著「平澤興語録 生きよう今日も喜んで」致知出版社から)

               

「自分を拝む。

その自分は無限の可能性をもっており、

素晴らしい創造力、かけがえのない霊性(こころ)をもっておる。

このように尊い自分である。」                                     

                        

必要があって、今朝、久しぶりに、平澤先生の語録を読んだ。

そのとき、目に飛び込んできたのが、上記の言葉である。

私も、人間には無限の可能性がある、そう思うようなっている。

それは、平澤先生の影響があるのかもしれない。

                  

私も法律家であるから、自由と平等を重視する考え方になっている。

この自由と平等は、人間に無限の可能性があることから入るとよく分かる。

本来、人間は誰でも無限の可能性がある点では、平等に創られている。

同時に、無限の可能性を生かして限界を超えるところに自由の意味がある。

                 

こういう言葉に朝触れると元気がもらえる。

                                

                  

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2009年6月21日 (日)

試験の不合格・・・・よかったですね!

先ほど、司法試験の不合格者にメールを書いた。

当事務所でエクスターンシップという実務経験をしたロースクール生にである。

               

当事務所の担当弁護士から、不合格の報告をきいたので、縁もあることなので、

私の著書「稼げる弁護士になる方法」を贈ってもらった。

そのことに対するお礼のメールへの返信を書いたのである。

              

この本の中で、「チャンスはチャンスの顔をしていない」と書いた。

この点を取り上げて、激励のメールを書いた。

このメールの要点は簡単である。

「司法試験の不合格は、チャンスの顔をしていないチャンスだ。」

                  

では、どうして不合格がチャンスなのか?

人生の目的と目標の違いが分かれば、チャンスであることが分かる。

司法試験の合格は、人生上、ひとつ目標であるが、目的ではない。

       

では、人生の目的とは何か?

両親に生んでもらったことを本心から感謝できる人生を送ることである。

何が起ころうと、揺らぎのない喜びに満ちた日々を送ることである。

                

さらに、言葉を変えれば、永遠につながる喜び・幸福な日々を送ることでもある。

これを、安岡正篤師は、「喜神」と呼んだものである。

               

試験の不合格で、悲しみや落胆があったのでは、人生の目的に反する。                  

むしろ、今回の不合格で、人生の目的が分かるチャンスを得たともいえる。

そのため、不合格はチャンスの顔をしていないが、人生上最大のチャンスなのだ。

              

人間は面白いもので、重要なものを忘れ、より小さなことに心が捉われる。

試験の不合格は、人生の目的からすれば、微々たるものである。

それによって、人生の目的には影響しない。

弁護士等の法曹になりたければ、また、挑戦すればいいだけのことだからである。

                      

試験の不合格は、試験の合格という目標からすれば、チャンスを逃したことになる。

この目先の目標に捉われると、試験の不合格は、チャンスの顔をしていないのだ。

目標面でチャンスの顔に変えるには、不合格を反省し来年に備えることだ。

これもひとつの捉え方であり、それ自体問題は無い。

           

人生の目的を忘れて、人生の目標だけにとどまっているのはもったいないことだ。

試験の不合格の機会に、人生の目的を考えると、本当のチャンスの顔が見えてくる。

この顔が見えると、人生が豊かになり、また、そのスケールが大きくなるからだ。

               

人間は、人生の目的を考えた生き方をするために生まれて来たのである。

人間として生まれたのには、それなりの意味があるはずだからである。

最終的には、人間は、揺るぎない幸福な人生を送るために生まれてきたのだ。

             

その意味では、自分を苦しめる生き方は、人生の目的に反する。

試験の不合格ごときを大げさに考えるのは、人生の目的をもっていないからだ。

真の人生の目的を持てば、不合格でも、幸福感は微動だに影響を受けないはずだ。

              

この点こそが、試験の不合格で最も学ぶべき点である。

司法試験、不合格でよかったですね、といいたいのである。

私が現在、少しはまともな人間になったのは司法試験の不合格があったからだ。

                 

そのことを知らせたくて、メールを書いたのである。

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2009年6月19日 (金)

小さなこと、簡単なことの中に、人生の秘訣が

昨日は、このブログを書けなかった。

これは、私の意志の弱さの現れであろう。

一昨日、名古屋のホテルに泊まり、昨日の朝、帰京した。

帰京後は仕事に追われたが、無理すれば書けたからである。

               

意志の弱い人でも、自分を変えて、充実した人生を送れる。

今、そういう本の原稿を書いている。

この原稿を書くのも、ままならない。

朝の時間帯を仕事や依頼された原稿等にとられることが多いからである。

                

それでも、時間を作って、少しづつでも書いているうちに、

なんとか、原稿が完成するものである。

原稿が完成するのは、原稿が完成すると信じているからである。

意志の弱い人でも、自分を信じることができれば、何かを完成させられる。

                  

実は、自分を変えることは難しくない。

自分を変えるのが難しいのは、自分が難しくしているからだ。

弱い自分を強い自分に変えようとするから難しくなるのである。

その困難に挑戦し、それを克服するのも立派な生き方である。

      

でも、それがなかなかできない人も多い。

それでも、諦めることはない、その人なりに充実した生き方はできる。                        

弱い自分を弱いままで受け入れ、弱い自分でもできることに着目すればいい。

弱い自分のままで、できることを考え、それを実行すればよいだけのことである。

                                                 

弱い自分でも、できることはある。

考えると、その人なりに、できることはいくらでもある。

                

「おはよう」と挨拶をするのでもいい。

靴を揃えるでもいい。

隠れた場所で、簡単な掃除をするのでもいい。

朝、鏡の自分に笑顔を見せるのでもいい。

      

できることはいくらでもある。          

それを実行し、それを続ければ、いつしか「できる」自分に出会える。

従来の自分がやっていないことをやっている違った自分を発見できる。

これは、小さいように見えるが大きな革命が起こっているのである。

                 

違った自分になるための心の革命である。

自分の考えを変えて、「できない」自分から「できる」自分に変わるからである。

意志の弱いタイプの人は、小さな革命をすることで自分を変えられる。

この小さな革命の積み重ねが人生を充実させる大きな革命に導くのである。               

              

小さなこと、簡単なことの中に、人生の秘訣がありそうだ。

                                                            

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2009年6月17日 (水)

ふれあいのかけらが人生を変えてゆく・・・さだまさしさんの歌

今日は、一日、地方出張である。

たまには、地方出張もいいものである。

普段の生活では見れない山々や田園風景を見て、良い気分転換となる。

また、新幹線の中などで、新しいカラオケの曲も覚えられる。

         

今、覚えようとしているのが、「天までとどけ」という曲である。

さだまさしさんの曲である。

相当昔に聞いた曲なのであるが、ある人との会話で思い出した。

加山雄三さんがホテルの総支配人の役だったテレビドラマの主題歌だった。

              

ある女性がその曲をMDにしてくれたので、それを新幹線で聞いている。

歌詞がとても素晴らしい。

        

「ふれあいのかけらが 人生を変えてゆく

言葉でなく ものでもない

ひとつの出会いから

・・・・・・・・・・・・・・・・」

         

この歌詞が気に入っている。

人生そのものだからである。

誰と出会うかで、人生が決まるところがある。

              

今日は、この曲を聴きながら新幹線を楽しむことにした。

             

今日、人との出会いがあるでしょうか。

素晴らしい出会いがあることをお祈りいたします。

楽しい一日をお過ごしください。

           

     

                

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2009年6月16日 (火)

桃栗3年、柿8年、柚子の馬鹿めは18年も悪くない

「桃栗3年、柿8年、柚子は9年で花盛り、梅はすいとて13年」

これは、実がなるまでには、長い期間がかかることを示している。

何事も成果がでるまでには、それなりの期間が必要であることを教える。

                 

今週のメルマガは、46年目の黒字化したサントリーのことを書くことにした。

そのため、桃栗3年、柿8年を比喩的に用いようとした。

それに、私の補助をしてくれるナカザワ女史が、「柚子の13年」を追加した。

そこで、柚子の事を調べたら、諸説があるようだ。

              

「柚子は9年で花盛り」というのは、三越のホームページにある。

「柚子は遅くて13年」というものもある。

「柚子の馬鹿めは18年」もある。

実際、実を付ける時期は、柚子でも様々なのであろう。

                               

銀杏が実を付けるのは、30年の年月がかかるらしい。

竹が花を咲かすのに、100年から120年と書いてあるものもある。

銀杏でも、竹でも、それぞれの個性があるから、要する年月は一様でないだろう。

          

人間も同じで、個性それぞれに、花を咲かせ、実をつける期間は様々だろう。

私は、弁護士になるのが非常に遅かった。

「柚子の馬鹿めは18年」に相当するようだ。

             

ただ、人間は無限の可能性があり、誰でも、常に、成長の可能性がある。

人間が一番伸びる時期は、75歳~86歳だからである。

これは、医学者だった故平澤興京都大学総長の言葉だから信じてよい。

                                      

定年後からでも、十分に、新しい実をつける期間がある。

「柚子の馬鹿めは18年」といわれようと、成長期の中で立派な実をつけられる。

成果を急いではならない、18年かける気があれば、必ず成果は上げられる。

                     

青年でも、いろいろな悩みを持っている人たちがいる。

その悩みも長い目で見ると、幸せになるチャンスに変わる。

考え方によっては、ありがたいことに、人生は長いのである。

10年後、20年後、30年後の自分を大きくイメージして生きることができる。

           

「馬鹿め」と言われようと、柚子のように18年かけて実をつければいい。

仮に、実をつけなくても、実をつけようとして生きる人生にも意味がある。

人それぞれの人生ではあるが、実をつけるという長期的な目標があるほうがいい。

                            

                       

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2009年6月15日 (月)

サンタクロースはメタボ、でも、夢はあきらめない

私は、大のサンタクロース好きである。

書斎には、サンタクロースの人形が3つある。

事務所の私の部屋にも、サンタクロースの人形が5つ置いてある。

最近の名刺には、サンタクロース姿の私の似顔絵が入っている。

           

いつか、公認サンタになろうと考えてもいた。

これは、本気で考えていたことである。 

ところが、メタボでなければサンタクロースになれないことがわかった。

知人が、公認サンタクロースになる条件を教えてくれたからである。

               

公認サンタクロースになる条件は次のようになっているという。

1 結婚している

2 子どもがいる

3 体重が120Kg以上

4 サンタクロースの活動をしたことがある

           

この条件の中で、私がクリアーできないのは、体重だけである。

結婚し、子どもはいるし、サンタクロースの活動をしたことがあるからだ。

サンタクロースの活動は、家庭内でも良いらしい。

          

私は、サンタクロースの扮装で活動をしたことはある。

法律事務所の忘年会で、サンタクロースの扮装をしたことがある。

また、クリスマスイブの夜に、家庭でサンタクロースの扮装をした。

寝ていた息子を起こし、クリスマスプレゼントを渡したのである。

息子は、本物のサンタクロースからプレゼントをもらったと信じたらしい。

                

体重120Kg以上という条件は、私には無理である。

私の望みは、減量して、120Kgの半分より少し多めの体重になることだから。

これで、公認サンタになる夢はなくなった。

でも、夢に生きるようなところがある私の夢はなくならない。

               

よくカラオケで歌う曲に岡村孝子さんの「夢をあきらめないで」がある。

失恋ソングだそうだが、歌詞が元気を与えてくれる気がする。

         

「あなたの夢を あきらめないで

 熱く生きる 瞳が好きだわ

 負けないように 悔やまぬように

 あなたらしく 輝いてね」

        

公認サンタにはなれないが、私設サンタには自由になれる。

私設サンタに必要な条件は自分で設定できるからだ。

社会の人に夢と元気と少々の品を与える気があれば、それで十分の筈だ。

結婚してなくても、子供がいなくても、体重が軽くても、サンタ資格は十分だ。

                 

サンタになる夢はあきらめないつもりである。

公認サンタの条件は、私の夢を妨害する壁にならないのである。

          

今日は月曜日です。

さあ、この一週間を楽しく過ごしましょう。                             

せめて、月曜日の今日は楽しく過ごしましょう。

職場であった最初に1人に声をかけましょう。

少し、大きめの声で、「おはようございます。」

                                          

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2009年6月14日 (日)

ブログとメルマガの舞台裏

先日、メールマガジンの申し込みがホームページでできる、と書いた。

ホームページの担当者から、このブログでも申し込みができる、と教えられた。

確かに、このブログの右上のところで、申し込みができるようになっている。

その点をお詫びし、追加訂正しておきたい。

                  

このメルマガを始めたのは、ある友人から毎週配信されるメルマガの影響である。

辻・本郷税理士法人の本郷孔洋先生のご教示による、という方が正しいであろう。

士業も積極的に情報を発信する時代だという先生の考えに賛同したのである。

                       

ただ、メルマガを毎週出すのは、意外にも、大変な作業が必要である。

ある人が、発信の1週間以上前に、私が過去に書いたものを基礎にし、

新しい情報を入れながら、メルマガの原案を作ってくれる。

それを私が遠慮しないで修正をして、次週用の私なりの原案を作る。

          

この私の原案に、また、ある人から修正案が来る。

この人も、妥協しないところがあるが、私も自分の考えがある。

そこで、また、私が再修正案を出す。

このように、数回の激しいやり取りの中で、メルマガを送信している。

             

このやり取りの中に、当事務所の人間も入ってくる。

「この言葉の使い方はおかしい」という指摘が出てくるのである。

               

いずれにしても、このメルマガは、本郷先生の影響から始まり、

他の会社の人たち、当事務所の担当者等、5~6人の手を借りて送信している。

舞台裏は、これが真実であるが、このような体制でないと、毎週、メルマガを出せない。

  

メルマガは、原則として、A4用紙の1枚で印刷できるように作っている。

長い文章だと、メルマガを読む方が大変だからである。

そのため、いかに短く表現するかが重要な視点となっている。

メルマガの2枚目は、私の本とかDVD等のお知らせ的なものにしている。

                  

このブログは、メルマガとは違ったつくりになっている。

私が、原則として、朝、書斎で仕事を終えた後の時間で書いている。

時間がないので、書いたものを見直していない。

したがって、誤字脱字、不適切な表現等があるのを出している。

          

ただ、このブログをある人が見てくれるようになっている。

そこで、毎回、誤字脱字等の指摘を受けている。

それを受けて、私が時間のあるときに、それを訂正するようにしている。

その意味では、このブログにも、人の支援がある。

                

今日は舞台裏を紹介したが、ブログにしても、メルマガにしても、

いろいろな人の支えがあって続けられるものである。

また、このブログを読んでくださる方も、私を支えてくださっている。

私のように不完全な者でも、人の支えがあれば、少しはましなことができる。

                     

世の中は、本当に、ありがたいことに、支えになってくれる人がいるものである。

                 

昨日は、一日、仕事も忘れ、ブログも忘れ、自由な時間の使い方とした。

1週間に一度、そういう日があってもいい気がする。

           

                     

            

                 

                                  

              

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2009年6月12日 (金)

神は常に自分と共にある

昨日の午後、中央大学経理研究所で講義をした。

「法務及び税務は会社の利益を向上させる部門」というテーマでの講義である。

本音で話をし、受講された方々の反応も良かったので、講義の後味は最高だった。

参考になるかもしれないので、レジメは後でホームページ上に公開する。

                                                        

今朝、昨年の今日である6月12日に書いたブログを読み直した。

今、2008年の1年間に書いた日記を校正しているからである。

昨年の6月12日は、「神に祈りて叶わざることなし」というテーマで書いていた。

               

早稲田大学近くにある水稲荷神社で見つけた言葉を紹介している。

改めて紹介するに値する言葉なので、その一部を紹介したい。

             

「神は常に人と共にあり

その喜びを喜びとし

     

その悲しみを悲し給う

されば 神に祈りて叶わざるはなし」

              

今、読んでも、元気をもらえる言葉である。

「神は常に人と共にあり」をどういうイメージで捉えるかが重要だ。

               

神と自分が並んで歩いている姿をイメージするのか。

神が自分を背負ってくれている姿をイメージするのか。

神が陽となり陰となって、自分を支えてくれる姿をイメージするのか。

               

神が前を歩き、その後ろを自分が歩く姿をイメージするのか。

自分が前を歩き、その後ろを神が歩く姿をイメージするのか。

以上は、神と自分が別の存在であることを前提にしたイメージである。

                 

それとは違い、自分の中に神は存在するというイメージはどうであろうか。

これは、自分と神を一体化した考え方である。

このイメージだと、創造主である神の力をお借りして強く生きられる気がする。

           

いずれにしても、常に神が自分と共にいる、そのことを意識するのは重要である。

その意識があれば、いつでも、自分を励まし元気づけることができ、

その結果、人生を有意義に生きることができるからである。

               

人が生きる意味は、楽しく、明るく、元気よく生きるためにあるからである。

最終的には、両親に、生んでもらってありがとう、そう言えるようにするためにある。

自分の存在自体に感謝できる人生こそ、最高の人生ではないだろうか。                

そのためには、常に神と共にあることを感じることは必須である。

         

ついでに、お知らせをしたい。

メールマガジン「鳥飼重和 幸福と成功の種まき」の配信が始まっている。

このメルマガの配信を希望される方は、鳥飼総合法律事務所のホームページから

申し込みをしていただけるようになった。

              

今日、1つだけでもいい。

幸福、成功の種をまいていただきたい。

きっと、その種は未来の素晴らしい実となるから。

              

         

                                   

               

          

          

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2009年6月11日 (木)

人間は無限

「何か方法はないだろうか

何か方法はあるはずだ

               

周囲を見回してみよう

いろいろな角度から眺めてみよう

       

人の知恵も借りてみよう

必ず何とかなるものである

        

なぜなら打つ手は常に

無限であるからだ」

          

これは、千葉県倫理法人会の初代会長の故滝口長太郎氏の詩である。

(松戸市中央倫理法人会のホームページより引用)

同じようなことを松下幸之助氏も述べている。

                

「不景気であればあるほど、なすべき仕事がある。

・・・・・・・・・・・・・・・

不景気であれば考える余地があるし、

また考えねばならないということになりますから、

無限というほど新しい仕事、新しい方策、そういうものが考えられる。」

(同氏著「不況に克つ12の知恵」PHP研究所)         

                  

両氏の新しい方策が無限と言う根拠はどこにあるのか?

「考えが無限」ということが根拠である。

故滝口氏は、この点について、詩の中で、つぎのように言っている。

           

「すばらしい名画よりも

とてもすてきな宝石よりも

          

もっともっと大切なものを

私は持っている」

              

松下幸之助氏は、前掲書の中で、無限の根拠について明確に述べている。

「われわれの考えというものは無限だ、

と私は見ているのです。

ある日時をかけていればそれは無限になっていきます。」

                     

人間であれば、誰でも、「考える」ことができる。

この「考える」ことを活用すれば、限界を超え無限に近づくことができる。

我々は目の前の小さな壁の前で、その壁を乗り越えられないでいる。

それは、乗り越えられないのではなく、「乗り越えようという考え」にならないからだ。

                 

不景気だからこそ、「考える」必要性に迫られて、新しい知恵が生まれる。

そう考えると、不景気は乗り越えられる壁に過ぎないことが分かる。

今の不景気を恐れず、それは乗り越えて成長するチャンスと捉えたいものである。

                 

失恋して嘆いているあなた、

嘆いていないで、人生の真実を知る必要がある。

失恋するからこそ、もっと素晴らしい恋人に出会える。

考え方ひとつで、人生は180%違ったものとなる。

                 

                  

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2009年6月10日 (水)

自分と同じ意見が新聞記事に載っている

自分の言いたいことが集約されている記事があった。

6月8日付日本経済新聞の「揺らぐCEO神話④」である。

最近、経営者向けのセミナーで私が述べているのと同旨の内容である。

経営の原点である長期的な経営を考えると、たどり着く結論なのである。

                     

それを要約すると、つぎの3つになる。

①長期的経営をするには、資本市場の声に捉われすぎないようにすべきこと

②経営理念・創業の精神という「思い=志」を中核にした経営をすべきこと

③経営の自由を確保するために、借金することは問題であること

                    

100年に1度の経済危機の現状から、本来の経営の原点が見える。

現状は、企業の100年の計を考えるためには最高のチャンスだと思う。

企業は何のために存在するものなのか、を真剣に考える必要がある。

        

そうすると、企業が社会に役立つことに存在意義があることが分かる。

つまり、私欲をほしいままにする存在ではなく、社会の公器だということである。

この点から、短期的利益中心の資本市場の影響を最小化する必要がある。

これが、前掲の①の点である。

                   

また、企業は人間が創り、人間が動かす器なので、人間次第で盛衰が決まる。

そうなると、人間の本質に適した組織の運営方針が決まってくる筈である。

人間は思いを実現する動物ゆえ、社会に役立つ思いである経営理念が重要だ。

この経営理念を重視することで、人材を中核とする全従業員の力を結集できる。

これが、前掲の②になる。

                    

私は、企業法務と税務訴訟を専門としているため、日本的経営の欠陥が分かる。

特別損失・税金を考慮した税引き後利益の重要性が認識されていない。

そのため、税引き後利益で返済される借金の意味が理解されていない。

借金をしていい場合と借金をしてはいけない場合が区別されていないのだ。

この点について、DVDを製作したが、発売が遅れているようだ。

                                 

この区別がされていれば、大恐慌が来ようと怖がる必要はない。

また、大恐慌のときほど、しっかりした将来のための投資ができる。

この点が、前掲の③の指摘の意味である。

                 

私が敬愛しているアンドリュー・カーネギーの言葉が記事の最後にあった。                                   

「ここに自分より優れた人々を集めるすべを知っていた男が眠る」

カーネギーの墓碑に刻まれた有名な言葉である。

           

自分より優れた者は競争相手ではなく、夢を実現する同志なのである。

私欲ではなく、夢・志を最高の価値とすると、このことが実感として分かる。

この私欲が暴れまわった結果が、100年に1度の現状の危機を招いた。

             

私欲は文明の進歩の原動力でもあるが、規制が必要なのである。

リーダーには、この自己規制が必要であり、それが人間の修養である。

中国の古典は、そのための書である。

今の時代には、中国の古典を活用する必要がある。

           

今日も一日、「楽しく」を旨に過ごしましょう。

何か、いいことが1つ、でもありますように。

無事に会社にたどり着いたことでも、いいことなのです。

              

何か、いいことを1つ、してみましょう。

「おはよう」の一言でも、声をかければ、いいことなのです。               

                                  

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2009年6月 9日 (火)

散歩で、スピッツの歌を思い出した

プチ断食を終わり、昨日の朝に帰京し、昨日は、通常業務をこなした。

それなりに忙しいが、疲れが残らない感じがとてもいい。

断食したのは1日だけであるが、それでも、2Kgの減量となった。

体が多少であるが、軽くなっている感覚なので、歩く感じが軽い。

               

サナトリウムの新館の受付の前に、額がかかっている。

ある大学の理事長が書いたものであるが、いいことが書いてある。

              

唐代の百丈壊海という禅師の言葉が素晴らしい。

百丈禅師は、仏法で最も大切なものは何かについて答えている。

「独座大雄峯」

              

この言葉の雄大さだけで、心に広がりが出てくる気がする。

独座している姿、それ自体が大自然なのである。

「無一物中無尽蔵」につながるような広大無辺な大きさがある。

これはすべて、我々の存在そのものを示していると思えば、心も広やかになる。

                       

都会の中で、忙しく働いていると、人間の心は小さなところしか見ていない。

そのため、心の雄大さを忘れることになる。

その結果、明日、あるいは、1週間後には忘れるようなことに心が捉われる。

これでは、幸せ感が小さなものになりそうだ。

                    

サナトリウムの周囲は、自然が多く残っている。

7日の日曜日は晴天だったので、散歩に出た。

さくら通りの青く茂った並木道を歩いたが、柔らいわか葉が目に心地よい。

さわやかな風の中で、うぐいすの歌声を聞いたが、スピッツの歌を思い出した。

          

「君の笑顔で晴れた 町の空

涼しい風 鳥の歌声 並んで感じていた」

        

最近、カラオケで歌い始めた曲の歌詞の中で、好きな一節である。

その曲は、スピッツの「若葉」である。

歌を歌うときは、ある一節を歌いたいがために歌うことがある。

その一節に、心が動くからである。

                 

今回のプチ断食は、3泊4日であったが、心にゆとりを取り戻せた気がする。

減量以上に、心の方が癒されたのである。

                

              

                    

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2009年6月 5日 (金)

「楽しく」が、暗い人生を素晴らしい人生に変えてくれた実話

暗い人生が、一転して、楽しい人生に変わった。

その体験談を、ある知人が教えてくれた。

その体験の持ち主は、その知人の娘さんである。

                

その知人の海外への赴任に、家族が一緒だった。

そのため、娘さんは、中学・高校の6年間は海外生活だった。

ところが、この中高時代、娘さんは、当初は暗い生き方をしていたらしい。

学校で孤立していたらしく、「最も喋らない人賞」をもらったという。

              

これでは、人生が暗いまま終わってしまうと思って、目標を立てたという。

「楽しく学校に通う」という目標である。

そのため、積極的な行動を開始する。

     

クラブ活動へ参加する。

英語はできなくても、挨拶は元気よく、笑顔を保つことを心がける。

一言でもいいから、クラスメートに声をかける。

クラスでの発言、生徒会活動への挑戦等もした。

          

最初はとても緊張し、帰宅した後は疲労感が残ったようだ。

でも、これらの行動は、社会のリーダーになる性格を育成する内容である。

その努力の結果は、報いられるのである。

学年で最も活躍している人に贈られる賞を受賞するようになったのである。

               

「楽しく学校に通う」という目標を立てる、この考え方になって変わり始めたのである。

「楽しく」という目標を達成するためには努力があったが、その努力は成果を生む。

今振り返ると、娘さんはどう思っているのか、本人の言葉を引用しよう。

              

「○○○○(外国名)での生活を振り返っても、

『楽しかった』という言葉が一番に出るほど、私は生き生きと生活を送っていました。

私自身、人見知りだった性格が、今では見知らぬ人にも気軽に声をかけられ、

様々なことに積極的な人間に変化しました。」

                  

このように素晴らしい人生を送れるようになったのは、考え方を変えたからである。

「楽しく」学校に通う、という「楽しさ」に心を向けようと考えたからである。

安岡正篤師の教えを学ばなくても、「喜神」の発想を実践したのである。

「楽しく」を思うことで、「楽しかった」という生き方に変われるのである。

         

暗い人生を甘受する必要はない。

人間は、誰でも、いつからでも、暗い人生を捨て、楽しい人生に変われる。

そのためには、自分の考える方向を「楽しく」の方へ向けることである。

その上で、「楽しく」なるための行動を考え、実践することである。

          

ここで示した若い娘さんの例から、大人の我々が学ぶことは多い。

そのため、ここに実例として紹介させていただいた。

         

今日の夜から、今年3度目のプチ断食をする予定である。

3泊4日の予定で、伊東のサナトリウムに行く。

そのため、このブログは、月曜日まで休止させていただくことにする。

             

楽しい週末をお過ごしください。

ブログを読んでいただいた、ご縁に感謝します。

                                      

     

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2009年6月 4日 (木)

新入社員の親を感動させる会社とその背後にある偉大な精神

日本企業は素晴らしい、日本社会の未来は明るい。

そう実感する経験をした。

上場企業の役員である知人の話からである。

                 

その役員の娘さんが、今年、ある上場企業に就職した。

その企業の人事担当取締役から、新入社員の親宛に手紙が届いた。

入社の祝いの言葉に添えて、企業の方針と新入社員への期待が書かれている。

しかも、100年に1度の難局を「チャンス」と捉え、未来での成長を示している。

                

このような手紙を受け取った役員さんは、感想をつぎのように述べられている。

「娘を大切に育てるという社としての気持ちが溢れており、

深い感謝の気持ちを持ちました。」

              

その役員さんは、私に感動のお裾分けをしてくれる為に、

その方宛に来た手紙全体を私に送ってくれた。

本当は全文を示したいのであるが、

ご了解いただいた手紙の一部を、紹介することにする。

        

「○○○○様(新入社員の娘さん)が弊社へご入社になり

社会人としての第一歩を踏み出されたことを心よりお祝いを申し上げます。」

            

つぎに、昨年来の経済危機の影響で、厳しい業績の見通しを述べた上で、

企業としての未来に向けた元気の出る言葉が続く。

                 

「現在の難局は 新しい発展を遂げるチャンスと捉え 

世界経済が回復したときには どこよりも早く 力強く飛躍できる企業を目指し

次の成長に向けた改革や成長への仕掛けに

全社員一丸となって取り組んでおります。」

                

その取り組みとして、昨年やったこと、今後やることの全体像を示している。

その上で、親を感動させる言葉が書かれている。

         

「このような中 大きな志と挑戦意欲に満ち溢れた○○○○様を

私たちの一員としてお迎えできましたことは 誠に心強く頼もしくも

感じております。・・・・・・・・・・

入社後一日も早く 新しい環境に慣れ 社会人・企業人として

逞しく成長されるとともに 大いに活躍されることを

心より期待しております。」

             

その後の文章で、親を企業の教育係にする言葉が述べられている。

なかなか、したたかという他ない。

日本的な企業の素晴らしさが示されているというべきであろう。

         

「ご家族の皆様におかれましても 

○○○○様への激励を賜りますようお願いを申し上げます。」

     

この手紙をもらった親は、きっと、娘さんに言うだろう。

「素晴らしい会社に入ったね。

会社の期待に応えられるように頑張りなさい。」                           

                  

新入社員の家族まで、企業の教育係りにする企業の未来は明るい。

そのような企業は日本社会には、まだまだ多いのではないか。

そうだとすると、世界経済が回復した後の日本社会は成長しているだろう。

           

ここに紹介した企業は、パナソニックである。

松下幸之助翁は、死んでも、その精神は見事に生きている。

会社名、組織形態は、まったく変わっても、経営理念は不滅だからである。

             

経営理念とそれに基づく人材育成が成長の源泉である。

そう、経営の神様である松下幸之助翁は述べているが、

その精神は普遍的であり、経済危機の現在、一段と輝きをもっている。

その輝きは、北斗七星のような方向性を与えてくれるものである。

               

松下幸之助翁の精神が、北斗七星として現在も生きて輝いているのである。       

偉大な精神は不滅であり、その精神が企業を、社会を、国家をも救うものである。

ある役員さんの話から、そのことを実感した。

                   

今日も一日、元気で過ごしましょう。

我々にも、例外なく、偉大な精神が宿っているのですから。

                           

                                       

 

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2009年6月 3日 (水)

成長する会社の祭神は何か?

昨日、議長セミナーで上場企業の社長達に講演した。

経営者を対象にする場合、法律の話は、ほんのわずかしかしない。

中心は経営の話であり、経営の話の中核は人間の話である。

経営は人間の本質にかかわるもの、という捉え方をしているからである。

                    

人間の本質を成長という視点で捉えることが幸福や成功につながる。

その点からすると、人間は限界を越える特徴をもつ点が重要になる。

鳥のように飛べないという限界を飛行機という考え方で乗り越えたように。

それは、人間も飛ぶ機械を作れば飛べる、という思い・信念があったからである。

                    

この発想を経営に当てはめて、昨日は講義をした。

会社は、成長する過程で、必ず、何らかの限界(困難)に出会う。

現状であれば、消費者の心理の冷え込み等の悪い経済環境の限界がある。

その限界を、人間は乗り越えることが出来ると考えるのが経営者の役割である。

                    

その場合、その限界を乗り越えるために極めて有用なポイントは何か?

本質的に言えば、経営に関する思い=社会に役立つという考え方である。

その経営に関する思いを「経営理念」というのである。

この経営理念を、経営者・従業員の中の人材が活用することで限界を越える。

          

人間の本質から言えば、経営理念=思いは、限界を越える切符である。

この切符がなければ、永続的な成長は期待できないのである。

そう考えると、経営理念は貸借対照表に載っていないが、会社の財産である。

永続的な成長という面から見れば、会社の最大の財産であることは明らかである。

           

この目に見えない会社の最大の財産に気づいた経営者が優秀な経営者である。

この目に見えない財産を最大限に活用しようとした経営者は松下幸之助翁である。

それゆえに、経営の神様といわれるようになったのである。

正しく言えば、松下幸之助翁は、経営理念を祭神とした神社の宮司である。

                    

そのため、経営者が経営理念を祭神とした神社の熱心な信者となれば、

大恐慌・大不況という最悪の経済環境でも、打つ手は無限に見つけることができる。

つまり、この祭神のご利益は大したものであり、大恐慌・大不況が襲ってきても、

その限界を越えることは容易なのである。

                     

これに類した話をしながら、我ながら、法律家なのか、と思ってしまう。

でも、私自身は、このことに矛盾を感じていない。

経営理念は、法令等を守ることを当然とし、法令等の限界を乗り越えているからだ。

法律を重視しつつ、それを乗り越えたところに成長する経営があると考えるからだ。

               

今日も元気で! 

明日も元気で!

生きていることの奇跡に感謝し、

今日を、明日を生きることの喜びを味わいましょう。

                               

                    

                       

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2009年6月 2日 (火)

人生は日々の歴史の積み重ね

お元気ですか?

ブログを読んでいただける、ご縁に感謝します。

              

今、書斎から見ている空は、晴天である。

今日は、気分の良い一日になりそうである。

                 

寝るって、すばらしいことである。

昨日と違う、新しい一日の始まりの気持ちを与えてくれるからである。

寝ることによって、一日一日の区切りをつけているのである。

               

昨日、どんないやなことがあっても、寝ることでそれは終わり。

眠りから覚めた今日は、これから白紙の一日が始まる。

この白紙に、どのような絵を描くかは、今から始まる。

今日の歴史は、今から始まるのである。

                

一日に、一日の歴史がある。

今日始まる歴史は、昨日の歴史と異なる。

明日にも明日なりの歴史がある。

その日々の歴史の集積が人生なのである。

               

我々は、一度の人生に、数多くの日々の歴史を味わうことができる。

人間は、実に、贅沢に生きられるものだ。

             

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2009年6月 1日 (月)

「死ぬ時に後悔すること」は何か?

昨日のブログで約束したことを述べる。

「死ぬ時に後悔すること」は何かを紹介することである。

ハガキをくれた方は、後悔する例25を箇条書きでハガキに書いてくれた。

                     

その原典は、大津秀一著「死ぬ時に後悔すること25」致知出版社である。

大津医師は、終末医療の専門家のようである。

終末医療において、1000人の死を見届けているという。

そのことから、「死ぬ時に後悔すること」を聞いた実例がこの本で紹介されている。

           

私は、まだ、この本を読んでいないので、早速、注文しようと思う。

ここでは、いただいたハガキに書いてある25のうち、10だけを紹介したい。

やろうと思えばできることが多いのに、そのことをしていない後悔だからである。

                                              

1  健康を大切にしなかったこと

2  たばこを止めなかったこと

3  自分のやりたいことをやらなかったこと

4  夢をかなえられなかったこと 

5  他人に優しくしなかったこと

6  自分が一番と信じて疑わなかったこと

7  美味しいものを食べておかなかったこと

8  行きたい場所に旅行しなかったこと

9  会いたい人に会っておかなかったこと

10 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと

        

1と2は、健康に関することである。

死ぬ時になって、健康の大切さがしみじみ分かったのだろう。

健康な人は健康は当たり前と思っているが、実は、ありがたいものなのである。

「後悔、先に立たず」とは、まさに至言である。

                  

3と4は、自己実現に関することである。

自己の限界を超えることが人生の醍醐味だとすれば分かる気がする。

やったことによる後悔よりも、やらない後悔の方が大きいのである。

                   

7と8は、人生をもっと自由に楽しむべきだったとの後悔である。

食事や旅行は、人生の彩(いろどり)を鮮やかにしてくれるものだからであろう。

人生を鮮やかに生きるのは、楽しむことを否定しない精神が必要だ。

                    

5、6、9、10は、広い意味の対人関係である。

人生では、対人関係が重要なので分かる気がする。

人間は、人との関係で一生を終わるのだから人間関係は重要である。 

良い人間関係が良い人生を保証してくれるからである。

                             

ただ、6と10は、いささか特殊かもしれない。

自分が一番と信じて疑わない人は、稀だからである。

死を目前にすると冷静になり、客観的に全体が見えてくるのであろうか。

自分よりも優れた人がいかに多いのかが分かるのであろう。

                    

また、死ぬ間際に「ありがとう」を伝えられない「愛する人」の存在も特殊であろう。

「愛する人」が近くにいれば、「ありがとう」を直接いえるからである。

             

死ぬ時に後悔のない人生を歩みたいものである。                                             

                  

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