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2009年3月31日 (火)

人は誰でも、いつからでも、人間国宝になれる

今日いただいた鳥飼日記のコメントは嬉しかった。

このブログを読まれて、前向きに人生を送ろうとされる方のコメントだからである。

心が前向きになると、人間は社会的に意味ある存在となる。

その人の意味ある行動が自分、家族、社会の人々へと役立ちの範囲が広がる。

                  

今回のコメントを下さった方は、高い使命感を持った生き方に目覚めようとしている。

高い使命感を目指そうと心が動くことから、人生は意味を持ち始める。

その心の状態が信念にまで高まると、人生は輝けるものとなる。

まさに、その人の人生は、「一隅を照らす」国の宝、人間国宝となるのである。

                    

このブログが、このような人間国宝を生み出すのであれば、これ以上の喜びはない。

人間国宝は、国が決めたから人間国宝となるのではない。

それ以上に意味があるのは、「一隅を照らす」ゆえに、人間国宝となることである。

照らす対象の一隅が広いか狭いかは、人生の意味の上では、差異がない。

              

人は誰でも、いつからでも、心の向きを変えるだけで意味ある人生を送れる。

意味ある人生は「一隅を照らす」生き方ゆえ、心の向きひとつで、人間国宝となる。

つまり、人は誰でも、いつからでも、今からでも、直ちに、人間国宝となれる。

これが人生の本当の姿ではないのだろうか。

                

人間国宝は希少性があるゆえに価値がある、と見るのは社会的に意味が少ない。

社会の本当のあるべき姿は、人間国宝の集まりだとも捉えることができる。

宗教が成り立つのも、社会の人は例外なく、人間国宝たりえるからではないのか。

               

今日のコメントに触発されて、誰でも人間国宝たりえることに考えが及んだ。

コメントを下さった方から私が恩恵を受けたことになる。

このことで、コメントを下さった方は、一隅を照らされた。

つまり、この方は、コメントを下さったことで人間国宝になったのである。

             

このコメントとそれに対する私の返答は、

当事務所のブログの担当者が午前9時前に掲載させていただく。

                                        

                

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2009年3月29日 (日)

花見は祈り、今まで以上に意味のある花見になりそう

今日の午後、家族と桜見物に出かけた。

天気は良かったが、それほど暖かさを感じなかった。

まず、自宅から近い靖国神社に行った。

靖国通り沿いの桜並木は、日当たりが良いためか、満開に近い桜が多かった。

                    

靖国神社の境内には、靖国通り沿いほど開花はしていなかった。

日曜日で晴天に恵まれたためだろう、人が大勢でていた。

お参りするにも、人の列ができていた。

鮮やかに咲いている桜を見ると、心が浮き立ちつのは確かだ。

                

つぎに、千鳥ケ淵の桜を見物した。

桜の名所であるだけに、見物する人は多かった。

ただ、満開とはいいがたいので、混雑しているほどではなかった。

桜の下にあるベンチに腰を下ろし、何かを食べながら花見をしている人も多かった。

               

桜は、華やかさがあるために、花見に適する。

木の下で車座になり、大勢で賑やかに花見をするのに似合うのは、桜である。

今週の火曜日の夜と金曜日の夜に、観桜会があるので、夜桜見物も楽しめそうだ。

              

桜の木の下での花見は、豊作を祈るための行事だったようだ。

3月28日付日本経済新聞の「NIKKEI PLUS 1」に、

「大人はどうして花見をするの?」という記事があり、次のような記載があった。

                                       

「昔の人たちは農作業を始める時期の前に、

豊作を神様に祈るため桜の木の下で食べたり、

お酒を飲んだりしたらしい。

山の神様が里へおりると考えたんだ。」

               

花見が豊作を祈るための行事だというのは楽しい情報である。

花見=祈りだとすれば、豊作を人生が実り豊かにであることに変えるといい。

さらに、祈り=感謝であるから、未来にも実り豊かな人生であることを感謝する。

花見=祈り、この情報を得ることで、今まで以上に、意味のある花見ができそうだ。

                                                                      

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2009年3月27日 (金)

人間は農民、心の畑に何の種を播くか

今日は、平日として、久しぶりに5時間ぐらいの睡眠がとれた。

そのせいか、今朝は、いつもよりも気分が良い。

昨夜は、フランス料理の一次会の後、ひとりで馴染みの店で二次会をした。

この二次会で気分転換ができたために、熟睡できたのだろう。

               

昨日のフランス料理は、とても、美味しかった。

フランスの有名なシェフが5日間だけ日本に滞在して料理してくれているものである。

旨く表現できないが、超一流の料理人の技を見せられたような料理だった。

フランス料理に精通した著名な学者が一緒だったが、美味しいを連発されていた。

                

この会食は4人であったが、仕事の話がほとんどであった。

最近の話題を含め、実に有益な話を伺うことができた。

本当の情報は、このような非公式なところでの会話の中にあるものだ。

当たり前のことであるが、情報を持っているのは人間だからである。

                 

ある意味では、この会合での最高の料理は有益な情報だったのかもしれない。

有益な情報というメインディッシュに添えられたものが最高の料理なのであろう。

最高の料理は、人間の食欲を満たし、生きている現在に喜びを与えてくれる。

有用な情報は、仕事や人生の未来に、より良い意味を与えてくれるものである。

             

人間は、未来に夢と希望をもてると、生きる力が湧いてくるものである。

現在の置かれた状況如何にかかわらずにである。

「苦は楽の種」というが、苦しい現状でも未来の楽を夢見たからである。

人間の本質は、未来を夢見ることにあるのではないか、そう思える。

                     

昨日の会食はとても楽しく、時間の過ぎるのが瞬く間という感じだった。

その席では、未来の希望に満ちた話に終始したからだ。

未来の楽の種を、同席した若手弁護士たちの心の畑に播いた会話だった。

          

ときどき、人間は本質的には農民ではないか思う。

人間には無限の可能性があり、人間に備わった心が可能性を現実化する。

換言すれば、人間は、心という無限の農作物を生み出す畑をもっている。

その畑にどのような種を播くかによって、人生における収穫物が何かが決まる。

               

自分の心が畑だとイメージできると、人生が変わってくる。

畑に何を播くかを考えるから、自分が欲しい収穫物が何かを考える。

その結果、自分の欲しい収穫物を得るための種を心の畑に播くようになる。

このようにして、自分の人生を自分の心の畑によって自由に創造できる。

                                  

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2009年3月26日 (木)

「いい男」「伸びる男」とは?

「偉くなる男、だめになる男」が見分けられるらしい。

銀座のクラブのママである「ますい志保」さんが書いている記事がある。。

08年5.5号の「プレジデント」の「達人のテクニック」に掲載されている。

                

最近、成功するタイプが変わってきている、そのように、ますいママはいう。

従来は、「俺についてこいタイプ」が成功者のタイプに多かった。

最近は、「周囲に共感を得ながら進むタイプ」が成功者のタイプだという。

               

共感しつつ、なかなか鋭い指摘をするものだ、と感心した文章がある。

「いい男」について書いてある文章を次に紹介しよう。

                          

「いい男は人こそ財産だということをわかっています。

義理人情に厚く謙虚で誠実だからこそ、

ますますいい人が寄ってくるのでしょう。」

          

この文章は、経営の核心を突くような次の文章につながっていく。

「お見事」「その通り」といいながら、うなりたくなるほどの観察眼なのである。

           

「いわゆる『つなぐ』ことができる男は本当に強いと思うのです。

異なった職種の人どうしをつないだり、他部署の人を巻き込んだりすることで、

より大きな仕事ができるからです。・・・・・・」

                        

「自分が中心となって人々を回していく現代の『コマ型組織』では、

いかに周囲の人々を巻き込めるかが勝負なのです。

伸びる男は、むやみに敵を作りませんし、

敵だった人たちさえ味方につけてしまうものです。

・・・・・・・・

大局で流れが見えている人が勝つ。

仕事人生もこれと同じことがいえるのではないかしら。」

             

「・・・・・ではないかしら」などとやわらかい表現を用いながら、

核心を突いた、極めて本質的な発言である。

「いい男」「伸びる男」を見つけないと、銀座における店の経営が続かない。

つまり、「いい男」「伸びる男」の観察眼に命を賭けているから「ではないかしら」。

                  

銀座のクラブのママから、仕事や人生を学ばせてもらった。

そういえば、細木数子さんも、銀座のママの出身「ではないかしら」。

そのため、仕事や人生についての本質的な観察眼をえたの「ではないかしら」。

                    

           

                

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2009年3月25日 (水)

友情に感謝・・・心の土壌に種まき

私の長年の友人に、本郷孔洋先生がいる。

税理士業界で知らない者はいない、超一流の著名人である。

日本で1、2を争う巨大事務所である辻・本郷税理士法人の理事長でもある。

              

その本郷先生がブログを書いている。

時代を読むー公認会計士 本郷孔洋の『ビジネスの眼」である。

実に面白いブログであり、実用的で、かつ、ユーモアにあふれている。

一度、覗かれることをお勧めしたい。

                 

久しぶりに、私も、先生のブログを覗いた。

すると、3月18日のブログに、私の著書を紹介してくれていた。

「『稼げる』弁護士になる方法」という著書名をずばりテーマとしている。

この本を読んで下さった上での率直な感想がブログには書いてあった。

               

本郷先生も「『稼げる』税理士になる方法」という本の著者である。

この書名について、私と似た思いが書かれている。

「この題名を、いちばん面映く感じるのは、著者です。」

私も同感で、この題名が本の内容と正反対なので、面映い。

            

稼ぐことを考えないで、「仕事の報酬は仕事」であるとして誠実に仕事をする。

その結果として、「稼げる」弁護士になれる、というのが本の内容だから。

つまり、稼ぐことを考えないことが、稼げるコツだ、私は言いたいのである。

              

私の本を読み終わった感想も書かれている。

「中身が濃くて、実に面白い。

一気に読み終えました。」   

これ以上の賛辞はないと、ありがたいことだと感謝の気持ちになった。

          

本郷先生は、大変、運とツキに恵まれている。

そのような先生と長年、友人関係にあることで、私も運とツキをもらっている。

私が税務訴訟で、社会に名前を知られるようになったキッカケとなった事件がある。

ストックオプション訴訟事件であるが、この事件の紹介者は本郷先生である。

                    

今回の本郷先生のブログで、これだ、と思ったことが書いてあった。

「『バカの壁』を書いた養老孟司先生は、

お母さんから、『あなたは60になったら開花するよ』と言われ、

60歳を過ぎてからベストセラーを出したと言います。」

                

私も、母から、繰り返し繰り返し、言われ続けたことがある。

「お前は、大器晩成だからね。」

この母の言葉の影響で私の人生が築かれた気がしてならない。

           

私の人生は42歳で遅咲きの弁護士となったときから、始まったようなもの。

そして、還暦60歳を過ぎてから、本当に自分らしい楽しい生き方になっている。

母親の影響は大きいのを年を経るごとに実感している。

                

親の与えてくれた暗示が種として、私の「心の土壌」に播かれたのだ。

しかも、暗示の繰り返しによって、大器晩成になる種が多数播かれた気がする。

柿は、8年かかって実をならすが、母が私に播いた種は、もっと期間を要するもの。

30年、40年、50年を経て、初めて、実となる種を播いてくれたようである。

                 

いまでは、私自身で毎日、私の「心の土壌」に「夢の種」を播いている。

たくさんの種を播いているので、私の存命中に実とならないものもあるだろう。

それでも、「心の土壌」に毎日、種を播き続けようと思っている。

人間が生きるということは、自分の「心の土壌」に自分なりの種を播くことだから。

           

本郷先生のブログを読んで、熱い友情を感じた。

同時に、母の暗示という心の土壌に播かれた種に、思いを馳せることができた。

そういえば、私の父も、私には、良い暗示を与え続けてくれた。

両親のお陰である人生を思い起こせたのも、本郷先生の友情のお陰である。

両親に、そして、本郷先生に、心から感謝したい。

                

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2009年3月24日 (火)

子供の未来について、親は、心配するのか、安心するのか

昨日は、息子の高校の卒業式だった。

女房だけ、その卒業式に出席した。

何が嬉しいのか、女房は、朝から、賑やかに動き回っていた。

              

私は、息子の卒業式に、どういうわけか、あまり心が動かない。

息子の人生にとっての一通過点という感じでしかない。

私に関心があるのは、息子の今後であり、息子の未来のことである。

                

私の血を引いたのだろう、特別頭がいいわけでもなさそうだ。

これも、私似なのだろうか、勉強が好きな方ではないようだ。

それでも、親としての私は、何も問題はないと思っている。

その理由は2つある。

                             

1つは、人柄はよさそうな点があるからだ。

息子は、付属高校だからその上の大学に行くことになった。

同級生が第一志望の慶応大学に合格したことを本気で喜んだらしい。

その同級生の母親から、そのことで感謝されたと女房が言っていた。

                

私も、大学受験して、中央大学法学部に合格したとき、同じ経験をした。

自分の合格よりも、友人が東工大に合格したことの方が嬉しかった。

この性格は、父と私達3人息子のためにだけ生きた母親の血筋だと思っている。

このような性格は、長い人生を考えると、楽しい人生を歩むに適している。

          

もう1つ、息子の考え方が前向きな点があるからだ。

しかも、女房が言うには、私よりスケールが大きな考えを持っているという。

このような考え方であれば、頭のよしあしは人生に関係がなくなる。

自分の能力を超えたところは、とびきり頭のいい人の協力で乗り越えられるからだ。

                   

父親は、息子を冷静に見つめるところがあるのだろうか。

高校生だった息子を眺めていて、私より良い人生を歩めそうだ。

そのことを確信に近い状態で感じている。

そのため、現在は、息子の未来に心配をしていない。

                  

今は、少し長生きをして、息子の未来を見守りたい気持ちになっている。

きっと、私の予感どおり、私よりも充実した楽しい人生を送ることだろう。

息子の未来に不安がないと、親としての私は実に楽な生き方ができる。

どうして、このような心境になったのかは知らないが、本当に気楽である。

              

未来は現在の心の鏡だ、という。

現在の心の中にある思いが、そのまま、未来の現実になるのである。

これは、私の体験上でも、そのとおりだと思う。

              

現在の私の心には、楽しい人生を送っている息子の姿が見える。

そうであれば、未来の現実として、楽しい人生を送る息子がいることになる。

子供に素晴らしい人生送ってもらいたいなら、心配をしないほうがいい。

むしろ、子供の明るい未来を予感し、安心する方がいい。

                                  

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2009年3月23日 (月)

「なごり雪」・・・イルカさんの夫は素晴らしい

「なごり雪」は素晴らしい歌である。

たまにだが、カラオケで、私も歌うことがある。

「なごり雪」の詩も、若かりしころの自分の似たような経験を思い起こさせる。

    

「汽車を待つ君の横で

ぼくは時計を気にしてる

季節はずれの雪が降ってる

『東京で見る雪はこれが最後ね』と

さみしそうに 君がつぶやく

なごり雪も 降るときを知り

ふざけすぎた 季節のあとで

今 春が来て 君はきれいになった

去年よりずっと きれいになった」

                  

この歌は、伊勢正三さんが作曲し、初めに、「かぐや姫」が歌った。

かぐや姫が1976年に解散したとき、「なごり雪」が宙に浮いたという。

(以上も以下も、3月21日付朝日新聞「be on Saturday」の「うたの旅人」から)

           

「そのとき、『ぜひイルカに歌わせたい』と願い出たのが、

イルカさんの夫の故神部和夫さんだ。」

その結果、「なごり雪」をイルカさんが歌い、今では多くの人が歌う歌になった。

           

「伊勢さんが生みの親で、

イルカさんが育ての親で、

今やみんなの歌になった。」

         

このように歌を広げたのは、イルカさんの夫の故神部さんであろう。

表舞台には出ないが、コーディネートする人の存在がこの歌にはあったのである。

しかも、この神部さんは、コーディネートする人に多い、裏方に徹する人柄だった。

              

神部さんは死ぬまで、「なごり雪」を歌わせるコーディネーターだったことを秘した。

イルカさんに「ぜひイルカに歌わせてください」と自分が言ったことを告げなかった。

イルカさんがソロになったとき、かぐや姫がこの曲をプレゼントしてくれた形にした。

妻であるイルカさんのかぐや姫からのプレゼントであることの価値を大切にした。

               

イルカさんがこのことを知ったのは、神部さんが病死した直後のお別れ会のとき。

かぐや姫の「南こうせつさんから打ち明けられた」のだそうである。

神部さんが願い出てから、32年後のことだった。

最近、こういう人を見かけなくなったが、むしろ、こういう人柄の人が懐かしい。

                                                           

この話を読んで、何十年も前に女性弁護士が新聞に書いた文章を思い出した。

ある離婚事件を担当したときの話を書いた文章だった。

夫が不治の病になり、後に残す妻のことを考えた。

自然に妻に恋人ができるように仕向け、恋人ができると離婚した。

           

その夫は、妻に不治の病であることを告げなかったそうだ。

死の床で、妻が恋人と再婚した話を弁護士から聞いて喜んでいたという。

この夫は、まもなく死んだらしいが、この裏話を妻は知らない。

                             

このときの夫の複雑な心境は想像すべくもないが、神部さんにも似た面はある。

裏方に徹することに喜びを感じるコーディネーター的な人間には分かる気がする。

今後、「なごり雪」を歌うときは、故神部さんのことを思って歌おう。

              

                                     

             

                

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2009年3月21日 (土)

私の著書から、人生を良い方向に変えた人がいる

昨日、3月20日に、このブログに、嬉しいコメントが入っていた。

私の著書「『稼げる』弁護士になる方法」を購入した感想についてのコメントである。

そのコメントには、人生を意義があり、豊かにするキーワードが出ていた。

                

「奮起」「前向き」「勇気」「希望」という言葉である。

コメントを下さった方は、現在37歳だそうである。

そのことから「奮起」という言葉に輝きを感じる。

満足していない過去から、満足できる未来を築こうとする意思が見えるからである。

                 

そのために、「前向き」と未来思考に発想を転換しようとしている。

未来思考の目印になる希望を掲げることで、希望に満ちた未来が描ける。

その希望に満ちた未来を切り拓くには、行動が必要となる。

それが「勇気」という言葉で表現されている。

                      

人生は、その人が考えていることの反映である。

つまり、過去の思いが実現した姿が人生そのものなのである。

そうであれば、人生に満足していなかったら、今、考え方を切り替えれば良い。

今、人生に満足する未来を築く考え方に変われば、その瞬間に人生が変わる。

                  

これは、人類にとって普遍的であり、誰にでも、いつからでも、当てはまることだ。

普遍的なものであるがゆえに、例外がないのである。

このことが分かれば、誰でも、いつからでも、楽しい人生にすることができる。

                    

つまり、人間は例外なく、幸せになるように生まれついている、ということである。

そうであれば、誰でも、生んでくれた両親に感謝しなければならない。

両親に心から感謝できる生き方こそが、人間本来の生き方なのである。

                

人生に不満を持っている人達は、何で自分を生んだのだと、両親を責める。

彼らは、自分で人間本来の生き方から外れているのに、責任を転嫁している。         

幸せになれないで、不満だらけの人生なのは、自分がそうしているのである。

両親に感謝できない生き方を選んだ自分の不明を恥じるべきなのである。

               

私の著書を読んだ方が、良い方向に人生の舵を向けたようだ。

そのことを知って、著者としてこれ以上の喜びはない。

このコメントとそれに対する私の感想は23日に掲載する予定である。               

                    

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2009年3月20日 (金)

「一日生きたことの中にある奇跡」に感謝を

「888」

この数字を見た瞬間に思った。

「とても、縁起が良い」

              

この数字は、今までに書いた鳥飼日記の数である。

「887」という数字を見たら、何も思わなかったかもしれない。

888回、日記を書いたお陰で、「縁起が良い」と思えるのだからありがたいことだ。

                    

888回は、1回1回の積み重ねの結果である。

1回目から、一気に、30回目に飛ぶことはない。

1回目のつぎは2回目であり、それが3回目となり、4回目と積みあがる。

その集積としての、縁起のいい数字の888回となったのである。

             

人生も、1日1日の積み重ねである。

いつ病気や事故等で死んでもおかしくないのが世の中である。

そうであれば、1日無事に過ごせたら、1回の奇跡があったといえよう。

10歳だと、奇跡が積み重なって、3650を超える奇跡に出会ったことになる。

                  

30歳だと、1万950回を超える奇跡にめぐり合ったはずである。

40歳だと、1万4600回を超える奇跡に感謝して良いはずである。

50歳だと、1万8250回を超える奇跡に遭遇したはずである。

60歳だと、ついに2万回を超えた奇跡を感じる機会があったはずだ。

70歳だと、2万5000回を超えた奇跡に出会っていたはずである。

                              

30歳を超えた人は例外なく、1万回を超える奇跡にめぐり合っている。

奇跡は、毎日の繰り返しの中で、自分が体験していることである。

ところが、誰もが、ただの1回の奇跡も経験していない、と思っている。

そのため、毎日、不満に満ちた過ごし方をし、人生を台無しにする。

                 

1日を無事に生きた、という当たり前と思える中に、奇跡が埋め込まれている。

どうせ生きるのならば、生きることの中に埋め込まれた奇跡に感謝したいものだ。

そうすれば、日常の中にある不満で人生を台無しにすることがなくなる。

                                   

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2009年3月19日 (木)

イチローから学ぶ・・・失恋、「だからなに?」って感じ

昨日は、残念であるが、WBC韓国戦で、4-1で日本は敗れた。

期待のイチローも活躍できなかった。

そのイチローの言葉である。

    

「彼ら(メジャー選手)のすごいところは、一度『あ、すごい選手だ』と認めたら、

2500本もヒットを打っている選手でも、訊きにくるのですよ。

それが偉大な点ですね。

自分のプライドを固持しないで、また学ぼうとするんです。

それには恐れ入りました。」(児玉光雄著「イチロー哲学」東邦出版)

       

業界で、ある一定高い地位を確保しても、目標はもっと高いところに持っている。

そのようなメジャー選手のあくなき向上心を知って、イチローは驚いたのであろう。

この向上心は、未来を見つめ、未来における成長を求めようとする発想である。

                    

このような発想からすれば、過去の失敗を引きずることはなくなる。

過去の失敗は、未来の成長・成功のための材料になるからである。

イチローも、未来に向けた目標を持っているから、過去の失敗を引きずらないだろう。

それは、つぎのようなイチローの言葉に表れている。

        

安打が出なかった試合の後で、イチローは、それをどう捉えるのか。

「チャンスはこれからいくらでもあるでしょう。

『だからなに?』って感じですね」

(児玉光雄著「イチロー頭脳」東邦出版)

                

このような未来発想は、意味のある楽しい人生につながる。

失恋したとき、応用すればいい。

「相手になる人は、いくらでもいる。

この失恋は、もっといい相手に出会えるチャンスを与えてくれる。

『だからなに?」って感じ」

           

何回失恋しても、この未来発想があれば、自分にふさわしい人に出会える。

この発想は、必ず自分にふさわしい人に出会えると信じることから始まる。

私流に言えば、自分にふさわしい人に出会えることに感謝する祈りをすることだ。

          

イチローは、つぎのキューバ戦では、従来の不振を忘れさせる活躍をするだろう。

そう期待したいものであり、そう期待できる発想をイチローは持っている。

                                           

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2009年3月18日 (水)

「最もよく幸福になる」方法がある、それは?

「倫理の根底には『愛』があると考えます。

どれだけ仕事を愛せるか。

どれだけ職場の仲間を愛せるか。

どれだけ家族を愛せるか。

何にもまして、

どれだけお客さまを愛せるか。

そして、どれだけ自分を愛せるか。

自分自身にいつも問い直してください。」

                   

誰の言葉であろうか?

前田新造資生堂社長の言葉である。

「目からウロコ」のような素晴らしい言葉である。

              

「最もよく ひとを幸福にする ひとが

最もよく幸福になる」

        

「最もよく幸福になる」方法を教えている。

「最もよく ひとを幸福にするひと」になることだ。

福を与えることは福をもらうことに通じるのである。

「情けは人のためならず」ということを言っているのである。

                                 

これは誰の言葉であろうか?

オムロンの創業者立石一真氏の人生訓である。

これまた、普遍的な真理を突いている感動的な言葉である。

                

昨日の午後、東証ホールで、日本内部統制大賞の表彰式があった。

その表彰式の最後に、私が特別講演をすることになっていた。

資生堂は、最優秀賞であり、オムロンは優秀賞であった。

他に、ベネッセコーポレーションが優秀賞であった。    

加えて、3人の会計人が特別賞として会計人奨励賞を受賞した。

           

各受賞者は、講演ないしスピーチすることになっている。

その際、受賞企業はレジメ・資料を配布した。

その配布されたレジメにあった言葉が、上記の素晴らしい言葉である。

                      

受賞された3社は、レジメから、経営理念を重視していることが分かる。

これは、内部統制について、高い水準で経営しようという姿勢を示している。

内部統制を法律問題という低い水準で捉えようとしていないところが、とても良い。

                

正直なところ、わが意を得たりと思った。

私が特別講演で言いたかったことは、その点だからである。

昨日に引き続いて、講演者である私がいい勉強をさせていただいた。

日本企業に素晴らしい企業があることを再確認できて幸せだった。

                                                              

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2009年3月17日 (火)

講師をして、受講者から教えを受けた

昨日の午前中、ある上場企業で役員向け講義をした。

内部統制は経営者の問題であることを中心に話をした。

内部統制は会社を成長させるために自律的に行うものであり、

その中心の役割を担うのは、経営者であるという話しをしたのである。

                    

私の講義が終わった後で、質問の時間になった。

そのとき、最前列におられた高齢の方が手を上げられた。

そして、次のように言われた。

「先生の話を伺って、初めて内部統制ということがはっきり理解できました」

                      

この方は、創業家出身の方で、80歳をはるかに超えているとのことである。

人の話をじっくり聞いて、それを理解しようという姿勢でおられるのは立派である。

この真摯な姿勢に感動した次第である。

講義をした私が、むしろ、教えを受けたのである。

                     

講義をする者と講義を聴く者は一方的ではなく、相互に心が交流するものである。

講義をする者は講義をする準備で学び、講義を受けた人からも学べる。

講義をするということは、多面的な意味での勉強をさせてもらうものである。

昨日は、多面性の一面に触れ、講師冥利に尽きる、そう思った。

              

お陰で清清しい午前中が過ごせた。

それが昨日の終日の心地よさの中での仕事になった気がする。

忙しかったけれど、とても、心にゆとりを持てた一日だった。

           

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2009年3月16日 (月)

誰でも、いつからでも、幸福・成功を手に入れられる、という本

つい最近、自分が書いた本の出版が続いている。

1冊は、「平成21年株主総会徹底対策」(商事法務)で、共著である。

この本は、毎年だすシリーズ本で、今年で8冊目となった。

                    

もう1冊は、「『稼げる』弁護士になる方法」(すばる舎)という書名がつく本である。

「稼げる税理士になる方法」という本の著者は公認会計士の本郷孔洋先生である。

その本郷先生から、弁護士版を書いたら、と勧められたのを受けたのである。

               

「稼ぐ」という意識で仕事をしていないので、「稼げる」という書名に?を感じた。

ただ、出版社から、「稼げる」シリーズにするというので、やむを得ず了解した。

内容を読んでもらえれば、むしろ、「稼ぐことを考るな」というものであることが分かる。

本の内容で真意を理解してもらばよい、と思ったのである。

                    

私と出版社では、この本の対象者が異なる。

私は、弁護士にとどまらず、一般読者を対象に考えていた。

42歳から弁護士生活を始めた私の経験を大いに語ることで、

人間、誰でも、いつからでも、幸福・成功を手に入れられることを知らせたかった。

                

出版社は、弁護士・司法試験受験生・法学部の学生を対象に考えていた。

そのため、今の受験生に意味のない私の受験時代の話を要望された。

これには参ったが、担当者の熱意に負けて、最小限のことは述べることにした。

              

読者対象は出版社と異なったが、私は、一貫して一般読者向けと考えた。

そのため、題材は、私の弁護士としての生き方をのべたが、

弁護士と関係ない人達が自分の人生に応用すれば、幸福・成功を手に入れられる。

そう信じて述べたつもりである。

          

私が弁護士になって以降の生活は、幸福・成功の普遍的な原理に基づいている。

そのため、稼ぎは結果であり、稼ぎを目的とするな、と一貫して述べている。

「仕事の報酬は仕事」であり、その結果、大きく稼ぐことになる、と述べている。

稼ぎを目的としている人は、長期的には本当の稼ぎはできないと思っているからだ。

                  

この本は、当たり前のことを当たり前にやることの重要性を述べている。

それゆえ、誰でも、いつからでも、心の持ち方を変えれば、幸福・成功は手に入る。

私の人生をほぼ包み隠さず、述べたつもりである。

将来、私の息子にも役に立つように本音部分を述べているのである。

                 

社会に役立つのであれば、自分の過去の恥を述べる責任があるのではないか。

そんな気がして、恥を忍んで、だらしない自分の過去をさらすことにした。

ただ、この本では、私が社会に伝えたいことが十分ではない。

その点は、今年中に、他の本で明らかにしようと思っている。

                  

いずれにしても、来週中には、上記2冊の本が書店に並ぶことになるだろう。

             

                 

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2009年3月13日 (金)

花粉症は未来の楽の種?

今日は、早朝から、やるべきことが多かった。

そのため、日記を書く時間を確保できなかった。

そこで、事務所で、合間の時間を使って、日記を書いている。

                     

ここ数日、飛散している杉花粉の量が多いのではないだろうか。

眼にかゆみがでているし、鼻水がでているからである。

花粉族の私としては、年中行事なので、時の流れに身を任せるだけである。

                 

断食を続けていることもあったのだろう。

花粉症の症状は、以前に比べて、相当程度軽くなった。

以前は、毎日のように、耳鼻咽喉科に行って、治療を受けた。

だが、今年は、まだ、1回も、耳鼻咽喉科に行っていない。

             

ただ、以前よりは、日常的な面では、注意を払うようになった。

当たり前であるが、外出先から帰ってきたら、手洗いと嗽(うがい)を励行している。

また、アイボンを使って、眼を洗うようにしている。

さらに、小まめに、外出時は、マスクをするようにしている。

             

事務所では、秘書が気を使ってくれて、花粉症に効能があるお茶を入れてくれる。

お茶の効用よりも、その気配りに対する感謝の方に効能があるのかもしれない。

その意味では、花粉症のシーズンでも、それなりに楽しく過ごせている。

                

よく考えてみると、花粉症で死んだという人がいるのだろうか。

人により、大小の苦痛はあるにしても、その苦痛は生きていればこそのことである。 

この苦痛は、生きている証なのである。

さらに、大いなる存在から、体質がよくないことを知りなさい、と教えられているのだ。

                

花粉症をそのように受け止めると、意味があるかもしれない。

症状に生きていることの確認をすることで、苦痛が多少減少するかも知れない。

体質改善をしようとして、実際の行動にでるかもしれない。

受け止め方を工夫すると、花粉症もなかなか味わいのあるものかもしれない。

                  

苦は楽の種、という。

花粉症という苦痛が、未来の楽を宿しているのである。

              

                

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2009年3月12日 (木)

3人の若い女性からの嬉しいメールがきた

朝、起きると、最初にする動作がある。

書斎に入り、コンピューターをONにすることである。

そのつぎに、書斎の机に座り、暫し、感謝の祈りの時間を持つ。

その後で、コンピューターで、メールを見ることになる。

                      

今日は、驚いたことがある。

とても懐かしい人達からの嬉しいメールがあったからである。

向島で芸者をしていた3人の若い女性からのメールがあったのである。

なんと、私の誕生日を覚えていて、誕生日を祝うメールをくれたのである。

                

メールをくれた3人は芸者時代、私が贔屓(ひいき)にしていたことで共通だ。

最近は変わってきたが、以前は、私が贔屓にしていた人達に共通点があった。

目標を持っていて、そのための資金を稼ぐために向島で働いていた点である。

私は目標を持っている人が好きで、こういう人達を応援したくなるからである。

                

今回メールをくれた3人にも、それぞれの目標があった。

1人は、中国に留学し、中国関係の仕事をしたいという目標があった。

そのとおり実行し、今は、中国関係の仕事に従事している。

嬉しいことに、当初の目標は達成したようだ。

           

別の1人は、専門性を身に着けた仕事をしたいと大学院を目指した。

その後、しばらく振りのメールなので、目標を達成したかは不明だ。

体育会系の元気な人で、とても美人であるのに、気持ちが良いぐらい大食いだった。

                

もう1人は、ミュージカル俳優を目指し、米国留学を目標として働いていた。

大変、明るく賑やかな人であるが、努力家だった。

実際、米国に留学し、今は、希望通り、ミュージカルに出演している。

この人も、目標は達成したのである。

                    

この3人に共通しているのは、目標を持っている人の特徴である明るさがある。

単なる明るさを超えて、底抜けの明るさ、といっていいかもしれない。

結局、類は友を呼ぶ、ということで、私の性格を反映したものなのである。

                           

歳月を経るにしたがって、若い女性とのかかわりあいが多くなっている。

不思議なことであるが、年毎に、身辺が賑やかさを増している感じである。

実に、ありがたいことであり、心底から人生が楽しいと思う。

その結果、さらに、人生が楽しいものになっていくような予感がする。                

               

              

                  

                     

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2009年3月11日 (水)

混迷の現在において、未来を切り拓く人

ここ9年間ほど、私がコーディネートをしている研究会がある。

産業経理協会の経営財務法務研究会である。

その研究会では、最近は、年間5人ほどゲストに講演をお願いしている。

昨日の午後は、さわかみファンドで著名な澤上社長に講演をお願いした。

                

長期的投資家の立場から、経営者に何を期待しているかを聞くためである。

100年単位の視野から、これからも4%成長が期待できるとの考え方を示された。

こういう前提に立つと、切れ味のいい言葉が連発されることになる。

                 

長期的には成長するのだから、現状の景気の悪さに捉われる必要がなくなる。

現状の金融危機も気にすることではなくなる。

むしろ、現状の景気の悪さこそ、平時にできないことを思い切ってやれるチャンス、

そのように捉えることになる。

                             

徹頭徹尾、未来の成長を楽観し、人間の可能性に着目する発想である。

普遍的なものに基礎を置いて、人間の可能性に期待しているともいえる。

普遍的なものに基礎をおけば、迷うことなく行動できるだろう。

このような観点から、経営者は未来を切り拓く役割をもつと捉えることになる。

                 

いずれにしても、元気の出る講義をしていただいた。

質疑応答にも熱が入り、意味のある時間をすごすことができた。

                 

未来を切り拓いた人に坂本龍馬がいる。

その坂本龍馬の詠んだものが、私の机の上にある。

「世の人はわれを何とも言わばいへ

 わがなすことは我のみぞしる」

                

京都見物の最終日、4日目に、龍馬ゆかりの場所に行った。

京都の4日目は、ホテルをチェックアウトした後、高台寺から始まった。

豊臣秀吉夫人である北政所(ねね)が秀吉の菩提を弔うため建立した寺だ。

             

見物しながら、我が女房殿が呟いた。

「ねね、という女性らしさがでている風情のお寺ね」

確かに、柔和なやさしい情緒を持つような作り方になっている気がした。

                

この寺の創建に、徳川家康が財政的支援をしたという。

それを機縁として、ねねは、加藤清正等に家康を加勢させたのかもしれない。

石田光成が関が原で敗北した遠因は、この高台寺の建立にあったのかもしれない。

              

高台寺の次に見物したのは、幕末維新ミュージアムの霊山歴史館である。

案内書に、「わが国唯一の幕末維新の専門博物館」と書いてある。

館内を見物すると、幕末維新好きの私には興味深いものが展示されている。

幕末維新で活躍した人物が多数展示されているが、坂本龍馬が中心の観がある。

                    

龍馬の活躍による大政奉還後まもなく、龍馬が中岡慎太郎と一緒に、暗殺される。

その暗殺される場面が詳しく紹介されている。

司馬遼太郎著「竜馬がゆく」における該当部分を思い出させる展示である。

それにしても、幕末の志士達の精神性の高さには、素晴らしいものがある。

                    

霊山歴史館の見物のつぎは、伏見の寺田屋に行った。

この場所も、幕末の歴史では忘れられないところである。

急進派の薩摩藩士が藩主の父島津久光の命で殺害された寺田屋事件の舞台だ。

また、龍馬が幕府役人に襲撃をされたのも、寺田屋である。

                    

風呂場にいた「おりょう」という女性が裸のままで、龍馬に通報する。

この通報のお陰で、龍馬は怪我をするも命は助かる。

おりょうが入っていた風呂場も残っているが、非常に狭いのに驚いた。

             

この襲撃を縁に、おりょうは龍馬夫人となり、日本初の新婚旅行をすることになる。

場所は、鹿児島の指宿である。

これは、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」の描く世界である。 

               

寺田屋の後は、息子から強い要望があった伏見稲荷大社に行った。

日本中の稲荷神社の総本宮である。

息子が見たがったのは、千本鳥居という名所である。

よくテレビの時代劇などにでてくる朱色の鳥居である。

                    

この伏見稲荷大社を最後に福岡・京都の旅は終わった。

とても、楽しい旅だった。

めでたし、めでたし。

                                      

                   

               

                  

                    

                     

                  

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2009年3月10日 (火)

文章は生き物のようだ、京都の話のつもりが、小沢代表の話に

経済状況が急激に悪化している。

企業から受ける相談に、緊急度の高いものが多くなっているからである。

しかも、以前に比べて、話し合いで解決できず、訴訟に発展するものが多い。

日本社会も、次第に訴訟を嫌うことが少なくなっていることは肌で感じている。

                  

従来の日本社会では、法律的な面に十分配慮しないでも、なんとかなった。

最近の民主党の小沢代表の秘書が逮捕された事件を見てもそう思う。

従来の政界の常識では、その問題は逮捕されるはずもない問題だったろう。

ところが、この政界の常識は、法律の素人である政治家の常識の可能性がある。

           

専門弁護士による十分な吟味を経ない判断を常識と捉える傾向があるからだ。

企業関係の最近の判例の流れは、従来の社会常識を覆すのが目立ってきている。

従来の社会常識では、適法と考えられたことが、訴訟の場で違法だと判断されるのだ。

その最大の理由は、従来の社会常識は法律専門家の吟味を経ていないことにある。

                     

紛争が訴訟に発展する可能性が高くなる今後は、社会常識がリスクとなりうる。

従来の常識では、○○は許されるはずだった、が違法となる可能性があるのだ。

つまり、今後の社会では、法律の吟味を通して社会常識を捉える必要がある。

                    

とくに、政界とか、ある業界、という閉ざされた社会での常識はリスクがある。

「法律的意味を伴った社会常識」をリーガルマインドという。

閉ざされた社会では、このリーガルマインドがないと危険な目に遭う可能性がある。

               

従来の日本社会では、業界の常識そのものが業界での安全を守ってくれた。

ところが、そのような「裸の社会常識」では、企業の安全は保障されない。

「法律を用いて吟味した社会常識」という「服を着た社会常識」が安全を保障する。

普遍的な高い倫理観に基づく常識なら、法律の服を着なくても安全ではあるが。

                      

今日の日記では、京都の3日目を書くつもりだった。

ところが、書き出しの影響で、別のことを書いてしまった。

文章とは面白いものであり、生き物のようである。

書き手の意図で書いているつもりが、書き手が文章の流れに流されるのである。

          

さて、京都の3日目を思い出しながら書いてみたい。

嵐山方面を中心に観光しようと企画した。

まず、世界文化遺産の金閣寺(鹿苑寺)に行った。

晴天であったので、緑色の林を背景にした金閣寺の金色が鮮やかであった。

              

つぎに、石庭で有名な、世界文化遺産の竜安寺に立ち寄った。

石庭の前のどこに座っても、石の数が15あることが見えない。

これは人間の肉体感覚の有限性を示すものという解釈があるそうだ。

私は、動き回って、石が15あることを確認し、心が自由なら無限だと捉えた。

                           

この庭を上空(宇宙)から見れば、「心」という字に見えると誰かが解説していた。

この石庭は、各人の見方によって、いろいろな解釈があるようだ。

禅寺らしい発想で面白い。

目の付け所、心の置き所で、様々な発想ができるからだ。

                 

その後、これまた、世界文化遺産の天竜寺に行った。

この寺では、池を中心とした風景がすばらしい。

背景にある嵐山や亀山が借景になったいるからだろう。

この「借景」という発想が経営の発想と似ていると思って感心した。

他の手を借りることでより大きなスケールの絵が描ける点で共通しているからだ。              

               

その後、ホテルに隣接している三十三間堂を見物した。

1001体がご本尊だというが、その数ゆえか、壮観である。

ここは「通し矢」で有名であるから、アーチェリーをする息子の関心が高かった。

                  

かくして、京都の3日目の観光は終わった。                    

                      

                     

                    

                

                                           

                  

                     

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2009年3月 9日 (月)

福岡、京都の旅を満喫した

久しぶりに、鳥飼日記を書き始めた。

3月1日(日)から家族旅行をしたため、日記を休筆していたからだ。

           

家族旅行は、福岡と京都であった。

福岡市内に鳥飼八幡宮という先祖を祭った神社がある。

そこに参拝するのが、今回の旅行の目的の1つだった。

福岡空港から、この神社に直行してお参りをした。

               

先祖あっての自分であるから、先祖にお礼参りすることは自然なことである。

この神社には、いろいろな祭神がいるので、十分な時間を使ってお参りした。

お参りは感謝することであるので、過去・現在・未来について感謝した。

それなりの環境でお祈りできることは、実にありがたいことである。

                           

この神社の参拝を終えて、近くにあるシーホークホテルに向かい、そこで宿泊した。

2日目は、福岡市内を何箇所か回ってから、太宰府天満宮に行った。

ここには大勢の観光客が集まっており、賑やかであった。

名物は「梅が枝餅」であるが、行列のできる店とそうでない店があるのが興味深い。

                       

福岡に2泊した後、新幹線で京都に行った。

京都行きは、息子の希望を入れたものである。

そのため、息子に行きたい所をリストアップしてもらった。

相当な数のリストアップがあったので、3泊4日をフルに使うことにした。

                  

福岡から移動した初日は、雨の中、宇治の平等院の鳳凰堂に行った。

空を飛んでいる姿の雲中供養菩薩(国宝)が面白いと思った。

その後、移動の疲れもあったので、ハイアットホテルに向かった。

ここは知人推奨の宿泊先であり、京都博物館前の立地のいい場所である。

                

京都の2日目は、晴天に恵まれ、タクシーを貸切にして、多くの場所を回った。

主要な所をあげれば、つぎのとおりである。

豊国神社、京都御所、八坂神社、下鴨神社、清水寺等である。

多いようであるが、それぞれのところで、余裕のある観光ができた。

               

この中で、私が希望したのが、世界文化遺産の下鴨神社である。

正式名は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)である。

私が行きたかったのは、理由は単純である。

この神社の祭神が訴訟の神様、私流に言えば勝訴の神様だからである。

                

               

この神社の神様が金色の鵄(とび)に姿を変え、神武天皇を勝利に導いたとされる。

そのため、金鵄(きんし)は勝利をもたらす鳥として伝承されているという。

私は大いに縁起を担ぐ方であるので、勝訴の神様をお参りするのは当然である。

昨年、税務訴訟の勝率が8割を超えたが、今年も高い勝率であることを感謝した。

                       

2日目の夜は、高台寺近くにある、「和久傳」という有名な料亭で食事をした。

知人の紹介で、その料亭の女将さんとは知り合いになっていたからである。

炭火焼を使った料理を中心にした、実に美味しい日本料理だった。

東京から和久傳の料理を食べるためにだけ来る客がいるようだが分かる気がした。

           

まだまだ、京都観光は続くが、それは明日の日記に書くことにしたい。

いずれにしても、福岡、京都の家族旅行は楽しかった。

帰京した翌日の土曜日からは、早速、仕事に復帰した。

でも、旅行の余韻というものが残っている気がする。

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2009年3月 1日 (日)

今日から1週間の休筆

今日から、1週間、完全休養をすることにした。

息子が、4月から大学に行くので、その前に家族旅行をするためである。

そのため、このブログは休筆にさせていただくことにした。

         

ブログを再開するのは、3月9日(月)とした。

久しぶりの完全休養なので、楽しみである。

ただ、終わっていないと困るものを終えるため、

今朝は、午前2時から起きて仕事をした。

       

こういうとき、早起きの効用を思う。

早起きのお陰で、緊急度の高い仕事は終えることができた。

もう、出発の時刻が迫っている。

                  

                     

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