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2009年2月27日 (金)

悪い経営者に感謝する人がいる

これから、東京駅に行く。

大阪で、ある信託銀行主催の株主総会セミナーで講義するためである。

大阪から帰京するのは、夜になる。

それでも、今夜は恒例の金曜日のフィーバーをしようと思っている。

                     

昨日は、監査役向けのセミナーをした。

約90名の監査役さんが熱心に講義を聞いてくださった。

実に、気持ちよく、講義ができた。

講義をしながら、参加者の方々と心の交流があるのを感じた。

                 

その講義を受けた一人の監査役の方からメールをもらった。

「悪い経営者に感謝」という内容である。

私が講義の最後に、言った言葉に対する回答である。

     

私が最後に言ったのは、次のような言葉である。

「良い経営者に恵まれた監査役はいいけれど、

そうでない場合は、不幸を背負ったようなものだ」

        

この監査役さんは、悪い経営者と戦っている人である。

そのことを不幸と受け止めないで、自分の人間性を高めるものと受け止めている。

そのために、「悪い経営者に感謝」と前向きに受け止められたのである。

すばらしい心の持ち方だと感心した。

           

一本とられた気がしたが、爽快な気分を頂戴した。

その監査役さんに感謝したい。

                              

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2009年2月26日 (木)

レーシック手術、本来は快適なはずなのに・・・・

私は、以前はメガネをかけていた。

近視と乱視であったからである。

メガネをかけていると、いろいろ不便である。

この不便さは、メガネをかけている人なら分かる。

                        

そこで、5年ほど前に、レーシックの手術を受けた。

レーシック手術を経験した信用できる複数の人の勧めがあったからだ。

勧められた当初は、レーシック手術のための検査を受けることも迷った。

眼の手術と思うだけで、なんとなく、怖い気がしたからである。

             

最後の決め手になったのは、レーシック手術をする医師との会食である。

当事務所の女性弁護士がこの手術の成功者で、彼女がセッティングしてくれた。

その会食で、その医師の率直な人柄が分かり、かつ手術に関する話に納得できた。

そこで、とりあえず、手術をするための検査を受けに行った。

              

この手術で著名な先生なので、待合室には大勢の患者がいた。

その患者の中には、テレビで見たことのある有名人もいた。

その検査の結果を受けて、手術を受けることにした。

               

この手術以降は、メガネによる不便さがなくなり、快適になった。

今では、メガネをかけている女房にレーシック手術を勧めている。

自分の体験から、手術の良さを実感しているからである。

               

ところが、昨日の報道を見て、びっくりした。

レーシックの手術を受けた患者が感染症を発症したというのである。

手術器具の消毒装置を、約2年半も点検していないのが原因だという。

手術をするのに、消毒装置の点検をしないことがあるとは信じられないことだ。

             

このようなことが起こると、まっとうな医師まで疑われてしまう。

レーシック手術で快適になれるはずの患者も、この手術をためらうことにもなる。

人間は社会に生きているから、自分の行動が社会の多くの人に影響を与える。

                 

社会で生きるられるのは、社会の多くの人々からの支えがあってのことである。

人間、ひとりでは生きていけないからである。

そうであれば、社会で生きるには、社会に迷惑をかけないで生きる必要がある。

患者を支えるべき医師が社会に迷惑をかけるとは困ったものである。

                 

その原因は、医師が医師である前に、社会人としての常識を忘れたことにある。

倫理観が喪失した観がある現代社会の病根がここに現れている。

自分も現在の社会に生きている以上、他人ごととはいえない気がした。

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2009年2月25日 (水)

幸せはトイレの中で

「今日一日、私が幸せでありますように」

「今日一日、家族が幸せでありますように」

「今日一日、社会が幸せでありますように」

              

こういう言葉を、声にだす、心の中で言う。

これが習慣になれば、自分自身が幸せになれる。

鏡の前で、笑顔を添えるともっと効果がある。

              

面倒であれば、もっと短い言葉にしてもいい。

「すべてのものが幸せでありますように」

もっと短くてもいい。

「すべてが幸せ」

             

この幸せになる言葉に、「感謝の言葉」を添えると、さらに良い。

「すべてが幸せです。感謝します。」

トイレの中で一人のときに、心の中で言うといい。

それだけで人間は信じられないくらいに幸せになれる。

              

1年間、続けてみてください。

その上で、効果がないのなら、文句をいってください。

やらないで、いちゃもんをつけないでください。

実行しない人は、自分で自分の幸せを奪っている人です。

               

             

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2009年2月24日 (火)

足元に、迷わないで歩める道が

「組織はすべて、人と社会をより良いものにするために存在する。

すなわち、組織にはミッションがある。 

目的があり、存在理由がある。」

          

ドラッカー著「経営者に贈る5つの質問」(ダイヤモンド社)にある一節である。

この言葉を、昨日、ある大企業の役員向けセミナーで引用した。

金融危機、経済危機の現状で、経営者にもっとも必要だと思ったからである。

同書には、次のような文章も書かれている。

               

「ミッションをもつことは、激動の世の中ではますます重要となる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

予測不能な暗夜にあっては、

導きとなる原理、丘の上の灯を必要とする。」

                

激動期にあって不透明な状況の現在、変動する環境に惑わされてはならない。

このような状況で、迷わないためには、歩くべき道筋を示す磁石が必要だ。

それは、組織の存在理由であり、ミッション(使命)であり、目的である。

           

これらが明確になれば、何をすべきかが分かり、実際の行動に発展する。

迷いのない行動の結果、組織は存続し、成長する。

したがって、世の中の混迷を恐れる必要はない。

むしろ、組織の存在理由、ミッション、目的を明確にできないことを恐れるべきだ。

                    

このことは、個人の人生の問題でも同じである。

自分の存在理由・生きる目的を明確にすることが、人生を有意義にする。

自分の人間性を成長させるために生まれてきた、と捉えることでも良い。

社会の人々の役に立つために生きよう、そう捉えることでも良い。

                    

母は、私達の父である夫と私達兄弟である子供のためにだけ生きた。

その生き方は、明確であり、迷いはなかったように見える。 

平凡ではあるが、力強い生き方であったことは明らかである。

従来の日本人の多くの生き様には、このような力強さがあったのではないか。

           

日本人は、もっと、先祖にすばらしい手本があることを知る必要がある。

そうすれば、もっと、自信を持って生きられるだろう。

自分の足元を照らすと、自ずと迷わないで歩む道が見つかるような気がする。

                                                       

                

                                  

                       

                  

             

                  

              

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2009年2月23日 (月)

食べる量が減ったが、それでも飽食?

昨日の夕方、家族で銀座に出た。

息子が文房具が見たいというので、銀座2丁目にある伊東屋に行った。

創業100年を超える老舗だけに、素晴らしい品揃えである。

不景気だとういうのに、実に客が多い(これでも例年より少ないのであろうか)。

                  

息子に付き合って店に入ったつもりだった。

ところが、筆記具を見ているうちに、あるシャープペンシルに目が止まった。

ファーバーカステルのシャープペンシルである。

なかなか書き味がよいので、思わず、購入してしまった。

                     

伊東屋を出て、銀座6丁目にある焼肉店に向かった。

銀座の表通りを歩くと、大勢の人たちで賑やかである。

ところが、通りから脇道に入ると、急に人が少なくなる。

ここら辺が、不景気の影響なのであろうか。

                   

銀座6丁目の焼肉店で、買い物をするため別行動だった女房と落ち合った。

久しぶりに、美味しい焼肉を食べたので満足である。

食べながら思ったのは、以前と比べて、自分の食べる量が少なくなったことだ。

それでも、昔の人がいう「腹八分」よりは多いのだろう。

               

「梅キムチ」という新しい品がでたようなので、食べてみた。

梅に甘さが出ていて、なかなか美味しかった。

この店でも、新しい料理を開発して、需要を喚起しようと努力しているのだろう。

その努力を舌で感じた次第である。

                             

                           

          

                  

                     

                            

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2009年2月22日 (日)

「他人より年収10倍 稼げる弁護士」という書名は品が悪い

今朝は、午前2時に起床した。

早起きの習慣のある私にとって、珍しいことではない。

そのお陰で、今、ある本の原稿のゲラ刷りの校正が終わった。

              

この本の書名が弁護士にふさわしくないものである。

「稼げる弁護士になる方法」という書名である。

当初、私は、この書名に反対した。

あまりにも、品が悪いし、弁護士の業務イメージと違いすぎるからだ。

                 

しかも、当初は、さらに「他人より年収10倍」という言葉も入っていた。

年収重視は私の生き方と違いすぎるので、これにも抵抗があった。

ただ、編集者は、なかなか引き下がらない。

多くの人に興味を持ってもらうには、この書名がいいのだというのである。

        

しかも、「稼げるシリーズ」で、すでに著名な公認会計士が本を出している。

「稼げる税理士」という書名で、なかなか売れ行きのいい本らしい。

その著者である公認会計士さんは、私の親しくしている方である。

その方の紹介で、出版社から、今回の出版の話があった。

                     

最後は、「『稼げる』弁護士になる方法」という書名で妥協した。

以前から、弁護士ほど、儲かる職業はないと思っている。

弁護士だからといって、「稼げる」の真の意味を明らかにしてもおかしくない。

「仕事の報酬は仕事」、その結果として儲けがついてくるのが「稼げる」の意味。

                

なぜ、私が弁護士は儲かると思っているのか。

弁護士は社会正義を実現することを使命としている。

つまり、社会に役に立つことが、業務の主要なテーマになっているのである。

これが分かれば、弁護士は儲かることが決まったようなものである。     

                     

それは、なぜか。

社会に役立つことが、儲けの原理原則だからである。

そのため、「義は利の元なり」という商売の秘訣があるのである。

社会に役立つことができば、必然的に儲けがついてくるからである。

                          

「社会正義」は、まさに「義」であるから、利という儲けにつながっている。

つまり、弁護士が社会正義を実現しようとすれば、必然的に儲かることになる。

このこと自体に気づいていないのが、弁護士界である。

むしろ、儲かることが社会のためになるのに、儲かることは悪いことと捉えがちだ。

                       

「社会正義」を「少数の人権保護」「弱者保護」と一面的に捉えすぎたからである。

「社会」には、いろいろな社会があることを忘れている。

企業にも企業社会があるから、ここにも、それなりの社会正義が必要になる。

もっと、細分化した形で社会を捉えると、様々な社会正義があることが分かる。

                 

このことに気づけば、もっと、弁護士が社会で役に立つ領域が拡大していく。

日本社会は、談合的社会だから、ほとんど法律の光で当たっていない。

そのため、法律的に問題があるところが顕在化しない。

顕在化していることを社会正義の対象と考えるから、活躍できる範囲が狭くなる。

                      

また、儲かる=稼げるのも、当たり前のことを当たり前にすることで実現できる。

弁護士には、このことに気づかずに、よい頭を別な方向で使っている人が多い。

むしろ、頭が良すぎるから、難しいことに目が行き、当たり前の重要性が分からない。

                 

「稼げる」ということが強調された書名であるが、

内容は、きわめて当たり前のことを書いている。

それが、人生を豊かにし、職業人としても後悔のない生き方ができる。

過去をめったに振り返らないが、この本のお陰で、昔を懐かしく思い出せた。

                            

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2009年2月20日 (金)

答えはどこにあるのか?

「答えは必ずどこかにある」

                 

これは、明電舎の稲村純三社長の言葉である。

2月19日付朝日新聞の「今、若者たちへ」というテーマのところにでていた。

              

仕事の経験の積み重ねを踏まえての言葉である。

その経験から次のような言葉に到達した。

「経験を重ねるうちに、答えのないテーマやクレームはない。・・・・・

一時的に苦しいことはあっても、できないことはない、何か手があるはずだと、

未知の分野にも前向きにチャレンジできた、と思います。」

                  

確かに、そのとおりだろう。

答えは、どこかにある。

ただ、実際上に問題になるのは、どこにあるのかである。

                 

「答えはここにある」といえるものを持っている人は強い。

答えを探す場所が分かっているのであるから、悩みは少なくてすむからだ。

                

人生において、答えのある場所として「人生の目的」がある。

自分は、このために生きてきたのだ、というものが目的である。

自分の人間性を高めることを人生の目的にするのも良い。

人や社会に尽くすことを人生の目的とするのも良い。

              

教育を生涯の目的を持つことも素晴らしい。

学問に一生をかける目的を持つのもいいだろう。

貧しい人たちを救うことを人生の目的とすることも良い。

                     

目的があれば、どんな問題に直面しても、うろたえなくてすむ。

目的が基準となり、そこから答えを見いだせる可能性が高くなるからである。

答えがどこにあるか、という手探り状態はなくなり、

初めから、答えは目的の中にあると思えるからである。

                

では、自分の目的はどこにあるのか、どこを探せばよいのか。

私の場合は、人物伝から自分の生き方の指標を見つけた。

歴史上の人物の中に、この生き方がいいな、と思えるものがある。

そのような人物から、自分にふさわしい人生の目的を見出せるだろう。

             

私の場合は、坂本龍馬であり、北条早雲だったわけである。

坂本龍馬は日本を考え、北条早雲は子孫・領民を考えた。

                     

身近な人の中にも、自分の範となる人物がいるかもしれない。

範になる人生があれば、そこから自分の人生の目的も生まれてくる。

そのためには、素直になることだ。

人の生き方の中に素晴らしさを感じ取る素直さが人生の目的を見つけやすくする。

                     

いずれにしても、自分に人生の目的があり、それを探せることを信じることだ。

そこから始めると、いつの日にか、自分にふさわしい人生の目的を発見できる。

                

                                                       

                 

                     

              

         

                 

       

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2009年2月19日 (木)

失敗は喜び・・・それは、なぜ?

「実験が思い通りにいかなかったら、喜びなさい。」

 なぜか?

       

「自然のほうが大きく、自分の考えたことなんて小さいこと。

そのことから、新しいことを考えなさいという意味です。」

           

この文章は、遺伝学者の中村桂子さんのもの。

2月17日付朝日新聞夕刊の「人生の贈りもの」に掲載されていた。

「実験の失敗は喜び」という表題になっている。

                    

「実験が思い通りにいかなかったら、喜びなさい」と教えたのは誰か。

中村さんが東大の大学院で師事した江上不二夫先生である。

                    

実験の失敗は、人生の贈りもの、と捉えているのである。

つまり、失敗はマイナスではなく、人生上のプラスだというのである。

確かに、その通りだろう。

             

科学や物理の実験の失敗がノーベル賞の原因になった例は多い。

これを、セレンディピティという。

「幸福な偶然」というものである。

つまり、失敗を失敗と捉えず、その中に幸福の原因を見つけることができるのである。

                 

人生には失敗はある。

その失敗の受け止め方で、人生が幸福になるかどうかが決まる。

つまり、失敗自体で人生は決まらない。

          

失敗に対する受け止め方という心の持ち方、考え方。

これが、人生を幸福にするかどうかを決める。

社会的な成功も同じであり、ビジネス上の物事に対する受け止め方で決まる。

つまり、幸福・成功を決めるのは、他の誰でもない、自分自分なのである。

                 

これが人間の真理である。

そうだとすれば、誰でも、いつからでも、幸福になれるし、成功できる。

受け止め方を正しくすることは、誰でも、いつからでもできるからである。

我々は、幸福な人生、社会的な成功のある人生を送れるようになっている。

                        

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2009年2月17日 (火)

経済危機ごときに負けてたまるか

「戦後最悪、最大の経済危機だ。」

これは、昨日の与謝野経済担当大臣の言葉である。

08年10-12月期のGDPが年率換算でマイナス12.7%を踏まえての発言だ。

                  

この発言自体、景気の先行きに対し、正しいものであろう。

午後6時ごろに、高速道路で箱崎を通過するときに渋滞がまったくないことが多い。

また、高速道路を走る大型トラックの姿がめっきり減っている。

ほとんどのタクシーの運転手は、乗車率の低さを嘆くことが多い。

                            

ただ、危機ばかりいっては、危機は突破できない。

危機ばかりが頭にあれば、危機を突破する元気が出てこないからだ。

むしろ、危機を叫ぶ以上に、危機を突破できることを強調するほうが重要だ。

               

将来のことは分からない。

危機は深まるかもしれないし、危機は容易に突破できるかもしれない。

そうであれば、ここでは、人間の無限の可能性を活用すべきなのである。

人間の素晴らしい未来の創造力を用いて、危機は突破できると思うのである。

                       

危機を突破できると思うのは難しくない。

人類の先人は、幾多の歴史的事実として、多くの危機を乗り越えてきたからだ。

オバマ大統領は、アメリカの独立戦争を例に危機を突破できると演説した。

日本も、元寇、明治維新、戦後と、今より厳しい試練を見事乗り越えた歴史を持つ。

                  

このような観点から、まず、今回の危機は乗り越えられることを前提とすべきだ。

そのうえ、この危機を乗り越えたときは、今まで以上に素晴らしい社会になる。

そのように未来の明るい展望を信じることが重要だ。

そうすることによって、国民全体に元気を取り戻すことが肝要だ。

              

麻生総理を非難しても、国民は元気にならない。

それよりも、未来の素晴らしい社会を思い描くことに頭を使う方が有益だ。

日本人は優秀だから、正しい方向が分かると知恵がでてくる。

この知恵を、未来の展望に使うと、未来の明るい姿を描けるはずだ。

                

現在は、経済危機を叫び、未来に恐怖する心を国民に植え付けている。

その恐怖が恐怖を現実化させる可能性がある。

むしろ、経済危機でも、未来は明るいという希望を国民の心に植えるべきだ。

この希望によって、希望通りの未来が拓けるのである。

               

現状の経済危機に対し、もっと、人間の心の働きを活用すべきである。

人間は、経済危機ごときに敗北するほどやわではない。

経済危機ごときに負けてたまるか。

新聞記事を読んでいて、直感的に、そう思った。

              

                 

                 

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2009年2月16日 (月)

「水は字を読める・・・」のブログへの反響が大きい

2月12日のブログに対する影響が残っている。

新たに、科学的見地ではなく、心の実現力の面からのコメントがついた。

これも、公平を期する意味で、後に担当者から公表してもらうことにする。

               

心の実現力は、科学的見地とは関係ない面があることは確かである。

科学的合理性がなくても、心が信じれば、それは実現するからである。

ただ、科学的合理性を偽ることがあるとすれば、それを無視することはできない。

以前の2人のコメントはその点を問題視されているのは、理解できる。

                       

本来、科学的合理性を問題とする意見と心の実現力を語ることは対立しない。

むしろ、対立的に捉えない方が実際的には有益だろう。

「水が字を読める」とすることにつき科学的合理性があるかは、私には分からない。

                  

「感謝」「ありがとう」という言葉は、人生上、極めて重要である。

そのことが目に見えるようになればいいな、とは思う。

それを写真で示した書物に出会い、それをブログで紹介した。

           

その書物で見た写真が科学的合理性があればありがたいことである。

その点に疑問が投げかけられているので、私には、その点について語る資格はない。

ただ、その点が疑問であったとしても、この写真を紹介したことの趣旨は消えない。

「感謝」「ありがとう」等の言葉が人生を左右する重要なものである点は変わらない。

                    

ありがたいことに、このブログを読んでくださる方は、人生をまじめに考えている。

そのまじめさが、一方では、科学的合理性を無視できない意見となる。

そのまじめさが、他方では、言葉の重要性を再確認する意見となる。

このブログを読んでいただいている方の知的水準の高いことを認識した次第である。                                    

                  

                

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2009年2月15日 (日)

研修会でのプレゼントで、喜びの循環が始まる

昨日の午後は、当事務所の税務分野の研修会があった。

今年に入ってから、毎月、3回、土曜日に研修会を開くようにしている。

新しい時代に適応するには、弁護士・税理士の専門性を高める必要があるからだ。

税務の研修には、当事務所の20名超の税務担当弁護士・税理士が参加している。

                  

この研修会の休憩のとき、女性弁護士・税理士から、プレゼントがあった。

昨日はバレンタインデーだったので、男性陣の全員に贈られた。

この思いがけないプレゼントで、いつもよりも、会場が賑やかになった。

               

当事務所には、女性弁護士・女性税理士が多い。

昨日の研修は税務中心であるから、女性弁護士の全員が参加することはない。

それでも、昨日の女性の参加者は、7名いた。

数えてみると、確かに、女性の割合は少ないとはいえない。

               

弁護士・税理士という専門職であるから、男女差はないと思っている。

そのため、女性の弁護士・税理士の採用に、全く差別はしていない。

要は、専門性の高さと顧客の依頼に十分対応できるかが重要だからだ。

                 

専門家は実力次第だからである。

ただ、実力のうちにも、コミュニケーション能力は重要である。

この面では、本来は女性のきめの細やかさが発揮できるはずである。

              

実際は、男女差のない点が、きめの細やかさの欠如の点で同じことが多い。               

つまり、実際には、専門家になると、男女差のない点が強調されることになる。

そのため、専門家では、女性の強みを忘れている方が少なくない。

日ごろ、その点、もったいないな、と思っていた。

                      

昨日の女性陣のプレゼントは、女性の強みが生かされており、嬉しかった。

専門性の上に、女性の強みがあれば、申し分ないからだ。

                  

専門性は、経験と勉強・研究の熱意があれば、身につけることができる。

ところが、コミュニケーション能力は、専門性に比して、身につけるのが難しい。

女性でも、専門家となるため、勉強中心に成長してきたからである。

               

いずれにしても、当事務所の女性陣の人間的成長に喜こんだ次第である。

個人の人間的成長は、その人が所属している組織の成長につながるものである。

女性の専門家が多い当事務所の女性の成長は当事務所の成長を支えてくれる。

             

昨日の出来事は、法律事務所の経営者として、ニンマリ、喜ばせてもらった。

ある意味では、この喜びが、バレンタインの本当のプレゼントかもしれない。

当事務所の女性弁護士・税理士に、感謝、感謝である。

                 

ホワイトデーで、この喜びに、お返しをしなければならない。

これまた、私の楽しみである。

この楽しみで、女性陣が喜んでくれれば、これまた、私の喜びである。

この喜びが、私の事務所運営を良い方向に導くことにつながる。

             

そのことが、また、当事務所の女性専門家の働く喜びにつながる。

                                 

このように、喜びは、波紋状に広がり、循環するものである。

人間の心から発し、他の人間の心を動かすものは、循環するのである。

コミュニケーション能力が重要なのは、この点からも理解できる。

                        

                                                                  

                                 

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2009年2月14日 (土)

義理チョコに、深く感謝

今日は、バレンタインデーであるが、土曜日である。

そのせいか、昨日、いろいろな女性から一日早いプレゼントをもらった。

おそらく、例年の例だと、昨日会えなかった人から、今日、プレゼントが郵送される。

不景気なのに、ありがたいことに、昨年より、今年のほうが、プレゼントが多い。

                  

9人の写真と寄せ書き付きのプレゼントがあったが、とても、嬉しかった。

温かい言葉が添えられると、心が嬉し泣きをするものだ。

その言葉が主たるプレゼントで、品物はそれに添えられたものと捉えるからだ。

バレンタインで重要なのは、品物よりもそれから香る心の温かさではないのか。

                                                           

最近、500円玉貯金を楽しんでやっている。

昨年の8月、ある女性から、500円玉貯金をする本を贈られた。

そのため、いつしか、500円玉貯金を楽しむようになった。                     

昼食のとき、500円玉のおつりがくるように、注文を考えたりするのも楽しんだ。

                 

その結果、昨年の12月末には、500円玉だけで、10万円貯金ができた。

このお金は使わず、記念のため、金融機関に貯金した。

今年は1月から、500円玉貯金を始めたが、すでに、4万円に達している。

これだけでも、毎日が楽しめるのであるから、不思議なことである。

                     

このような楽しみを知っている女性からのプレゼントは、新たな500円玉貯金箱。

こうなると、500円玉貯金の本と500円玉貯金箱の2つの貯金が必要になる。

そうなると、新たに、500円玉の獲得方法を工夫することになるだろう。

コンビニに行って、支払いを複数回に分けて、500円玉確保をするかもしれない。

                 

いずれにしても、チョコレートだけではない、いろいろなプレゼントが登場している。

そのプレゼントによって、人生に新しい楽しみを与えてもらえる。

さらに、ホワイトデーに何を贈るかを考えるのも、大きな楽しみである。

いままでは、女房に、品物を選んでもらったが、一部でも、自分で選びたい気もする。

                      

プレゼントを品物ではなく、心のぬくもりの交換だと思うと、人生が豊かになる。

日本人の贈り物を重視してきた民族性は、心を大切にしたからではないか。

義理チョコは、その意味では、とても重要なもののように思える。

「義は利の元なり」の真理を知れば、なおさら、「義理」の重要性が理解できる。

             

私は、義理チョコを、深い感謝の気持ちでもらっている。

                                              

                      

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2009年2月13日 (金)

2月12日のブログに対する科学的見地からのコメントについて

2月12日「水は字を読める・・・」というブログに、2人からのコメントがあった。

2人のコメントの趣旨は、共通している。

水が字を読める点に関して、科学者から批判がある、という点にある。

                 

このコメントは、素直に、このブログに対するご親切と受け止めたい。

そこで、後で、当事務所の担当者から、コメントを公開してもらうことにする。

コメントで、科学者からの批判があることを初めて知った。

正直なところ、江本氏の写真と科学者の批判のいずれが正しいか分からない。

                                          

したがって、この点について、深入りするつもりはない。

ただ、水が字を読めるとする人とそれを批判する人があることだけを明確にしたい。

あとは、コメントも参考にして、ブログを読む方の判断に任せたい。

                                             

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元気は前向きな考え方から生まれる

昨日は、一日、名古屋であった。

昼に、蓬莱軒の「ひつまぶし」を食べたことはいうまでもない。

昼前に、松坂屋の中にある店に行ったが、30名ぐらいの客が待っていた。

大勢の客が待っているのは、相変わらずのことである。

                   

ひつまぶしは、昼食としてはそれほど安くはない。

標準タイプで、2730円、大盛りで、3780円である。

それなのに、美味しいものには、客が列をなしているのである。

不景気とはいえ、お金を持っている人が多いことがわかる。

                

昨日は、時津風部屋の元親方の公判があった。

そのため、名古屋地方裁判所では、報道陣が目立っていた。

ひつまぶしとの関連で、相撲取りのことで思い出したことがある。

              

何年前だか忘れたが、熱田神宮近くの蓬莱軒で「ひつまぶし」を食べていた。

そのとき、近くで、「ひつまぶしのおかわり」と言った人がいた。

ひつまぶしの量は少ないとはいえないので、おかわりには驚いた。

                

振り返ると、それは相撲取りであった。                

さすが、相撲取りは違う、そう思った記憶がある。

                  

JRの名古屋駅構内を歩いたが、以前よりも、人が少ない気がする。

即断できないが、これも、不景気の影響なのであろうか。

こういうと、今流行の不景気風が蔓延しそうである。

重要なのは、不景気のときほど、元気をだす必要があることだ。

           

名古屋から帰京して、そのまま、神楽坂での会合に出た。

知人の医者と会社社長との会食である。

この会合は元気のある者の集まりであるので、元気の出る話ばかりだった。

最初から最後まで、笑い声が絶えない会合になった。

                    

元気のある人は、見るところが違う。

日本は、歴史的に見ると、どんな苦難も乗り越えたから、今回も大丈夫。

これが会合の出発点であるから、悲観的な話はなく、自然に前向きの話になる。

               

どんなに、不景気になっても、それなりのパーセンテージの黒字企業はある。

それなら、自分の会社を黒字にする方策はあるはずだから、それを探せばいい。

いい方策を探そうとすれば、いい方策が見つかるから成長する。

このように、元気の出る考え方だから、元気がでることになるのである。

                    

医者の方も経営者であるが、この不景気を利用して、事業の拡大を考えている。

私も、この不景気は法務と税務の重要度が増すと考えている。

その意味では、この会合は前向き発想の人たちが集まったことになる。

まさに、類は友を呼ぶ、ということである。

                  

新幹線の往復で疲れたが、元気の出る会合で疲れが取れた気がする。

やはり、元気は前向きな考え方から生まれるものである。

この当たり前のことを実感して、帰宅した。

                                                          

                 

                    

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2009年2月12日 (木)

水は字を読めるし、感情がある

水は字を読めるらしい。

水は感情があるらしい。

ある写真を見て、それが真実らしいことを知った。       

その写真は、江本勝著「水は答えを知っている」(サンマーク出版)に載っていた。

               

「ありがとう」という字を読んだ水の結晶は、どうなるのか。

「六角形のきれいな形の結晶をつくりました」(前掲書)

           

では、「ばかやろう」という字を読んだ水の結晶は、どうなるのか。

「結晶がばらばらに砕け散ってしまっていました。」(前掲書)

                

これが文章として解説してあるばかりではなく、カラーの写真付きなのである。

確かに、「ありがとう」の場合には、形の整った「きれいな形の結晶」となっている。

王族が正装の際に、身につける勲章のような形である。

しかも、日本語だけでなく、どの国のありがとうの言葉でもきれいな形である。

              

「ばかやろう」の写真では、「ばらばらに砕け散って」、結晶になっていない。

他にも、人を傷つける言葉の場合には、写真を見ると、結晶になっていない。

このような言葉は建設的でないことが、結晶にならないことで示されている。

                

最も美しい結晶を作る言葉がある。

それは、「愛・感謝」という言葉である。

水=自然は、愛と感謝を大切な要素としていることが分かる。

          

著者は次のように述べている。

「大自然の生命現象は

『愛と感謝』が根本であることを物語っています。」

写真を見れば、そのことが実感として理解できる。

        

「しようね」と「しなさい」でも、結晶の形がまったく異なっている。

「しようね」は、花びらのように美しい結晶になっている。

「しなさい」は、かろうじて結晶になっているが、美しさから程遠い。

やはり、自然界での強制は望ましいものではないのであろう。

              

思わず、頭に浮かんだことがある。

「法律による規律よりも、経営の自律だ」と。

人間、自主的にやることに本当の成果があるのだろう。

                     

小学生が、水に声をかけたときの写真がある。

「かわいいね」と声をかけたものは、うれしそうに美しい結晶になっている。

「ばかやろう」と声をかけたものは、結晶にもなれない悲しげな姿である。

                    

「きれいだね」と声をかけると、整った形の結晶になる。

著者によると、頻繁に声をかけるほうが、より整った形になるという。

                

今日から、事務所の女性弁護士や秘書たちに「きれいだね」と声をかけようか?

「先生、頭がおかしくなったんじゃないかしら」「所長は、このごろ変」

そういわれそうだ。

              

女房相手だったらどうだろうか。

「このごろ、美しくなったね。」「君は、とても、きれいだよ。」

言ったとたん、返事が返ってくるだろう。

「あなた、何かやましいことがあるの」

              

せいぜい、向島で芸者さん相手に、「かわいいね」といっているほうが無難だろう。

その言葉を素直に受け止めて、美しい形の結晶を作ってくれそうだ。

                               

言葉の水に対する影響力を考えると、人間に対する言葉の大切さが分かる。

自分に対する言葉も、他人に対する言葉も、形の整った結晶になるようにしたい。 

言葉を結晶にした写真を見て、正直、衝撃を受けた。

水も、人間と同じであり、全生命は一体であることを実感した。

                                                                       

                 

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2009年2月10日 (火)

桶狭間の戦いに勝ったような感じ

昨日の午後は、桶狭間の話をしていた。

ある事件を担当し、100%勝ち目がない中で、完全勝利を収めたからである。

勝利を決めたのは、競馬で言えば、鼻の差である。

               

鼻の差とはいえ、それに貢献できたのは、弁護士冥利に尽きる。

この鼻の差は、迅速な行動力がもたらしたものである。

我々弁護士の行動も迅速だったが、それ以上に社長の行動は迅速だった。

勝敗を分けたのは、わずか数時間の差に過ぎなかったからである。

                        

もう1つ、勝敗を分けたのは、運ではないかと思った。

社長も運の良い方のようだし、主任弁護士の私も、最高に運が良いからである。

幸運の持ち主の東郷元帥の指揮で日本海海戦に大勝利したのは理解できる。

               

桶狭間の話のついでに、社長から、信長の本能寺での死亡の話があった。

今回は、幸運に恵まれ、桶狭間で勝利したようなものだ。

しかし、その後、信長のように本能寺で死ぬような不運には遭いたくない、と。

熱血漢であり、人の意見にも耳を傾ける社長だから幸運は続く、そう思った。

                    

弁護士の業務では、対立する場面で働くから、戦う場面が多くなる。

戦う以上、勝敗があり、勝つことも負けることもある。

敗訴続きの税務訴訟の勝訴率が画期的に上昇した現在、言えることがある。

                 

それは、事件を担当した人の組み合わせの妙ということである。

換言すれば、チームワークだといってもいい。

私流に言えば、最も幸運を招く人の組合わせが良いと勝利できる確率があがる。

税務訴訟でも、今回の桶狭間の事件でも、そのことを実感した。

                  

運は目に見えない。

しかし、経験上、確実に運は存在する。

この目に見えない運を実感できるからである。

幸運を招くのは、人の心の中の情景だと思っている。

                               

               

                      

                     

                 

           

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2009年2月 9日 (月)

自分の書いた本の影響力を実感した

本の影響の大きさを実感している。

具体的には、一昨年出版した「豊潤なる企業」という本である。

その本を読んだ方が、この本に感動して、自分の人生を賭けた行動を起こしている。

何回かお話を伺ったが、自分の社会的役割を果たそうと本気になっている。

                  

私の本を読んでいただくだけで、ありがたいことだと思う。

感動していただき、自分の人生に社会的意義を感じられたのも素晴らしい。

ただ、通常なら大人の対応があり、人生を賭けるようなつらい道は選ばない。

ところが、青年の情熱を持って、自分の存在意義を求めて行動を開始している。

                

相談を受けた当初、やろうとしていることの社会的意義の高さは理解できた。

ただ、相談者にとって、損はしても、まったく利益にならない内容なのである。

つまり、社会的意義ある行動だが、相談者は犠牲を払う内容なのである。

                    

一種の幕末の志士と話しているような感じである。

自分の利益を度外視して、日本に貢献しようとして命を賭けたのが志士である。

相談者の利益にならない内容の業務なので、当初は、事件の受任はためらった。

しかし、相談者の心意気に感じて、事件として受任することにした。

                 

私が書く本や原稿、私のやるセミナーは、現在は革命期であるという内容である。

そのため、従来の価値観が大きく変わっていることを中心に取り上げている。

それに同調して、行動を起こす人が登場してきたことに、時代の変化を感じる。

              

経済でも、政治でも、人生でも、未来が不透明になっているのが現在である。

こういうときは、志や夢という未来指標が灯明となり、輝きを持つものだ。

そのような指標を持つことで迷いが少なくなるからだ。

しかも、その未来の指標に向かって素直に行動しようとする人が現れる。

                    

このような人たちは、少数派であり、当初は異端視されるだろう。

自分の利益を考えず、社会の利益を優先するのだから、変わり者である。

しかし、それは時代の流れに適応するものだから、いずれ、評価されることになる。

          

少なくとも、この方は、自分が社会的な意義あることをした、と認識している。

しかも、私どもお手伝いする弁護士達はその勇気を賞賛する。

そこで、自分の人生に誇りをもて、生きた証としての行動に納得できるだろう。

自分を守るため、何もしなかった人生よりも、後悔は少ないだろう。

                                                        

自分の書いた本に触発されて1人が勇気ある行動をとる。

この波紋が、私たち弁護士を動かし、ある企業に波紋を広げる。

その波紋が報道等を通して、社会的波紋として拡大する。

その結果、同種の社会的意義ある行動をとる人たちが増えてくる。

                   

自分の書いた本の影響に驚きつつ、その本の社会的波紋の広がりを注視したい。

私の本は、予言的な本であるが、実際に、世の中がその流れになっている。

これからも、時代の正しい流れを予言していきたい。

それを本として出版し、セミナーで講義したいと思っている。

                 

1人の読者の行動から、著者である私が勇気を与えられた気がする。

本当に、ありがたいことである。

著書→読者の行動→著者のさらなる著作→社会への波紋の拡大

世の中は、人の心の波動が波紋を起こし、波紋を大きくしていくのである。                   

                                                

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2009年2月 7日 (土)

何とかなるものだ

昨日は、早朝から業務に忙殺されて、日記を書く余裕がなかった。

タクシーの運転手さんから、営業状況を聞くことが多い。

例外なく、昨年の10月以降、バブル崩壊後より悪い状況だという。

不況が深まってきたのであろうが、それゆえに弁護士は多忙となる。

                

不況になると、いろいろな面で悪いところが表面化し、それが波紋を広げる。

その結果、対処すべき法的な問題が出てくるからである。

特に時代の変わり目であるため、従来と違った力関係が表面化することも多い。

          

監査法人の考え方が変わったことで、影響を受ける上場企業が増えている。

監査役の考え方が変わったことで、経営陣との対立が表面化することも増えた。

経営陣の考え方が分かり、会社の取締役の責任を追及するようになった。

弁護士の意識が変わり、上場企業相手の訴訟が変わりつつある。

                 

このような変化は家庭の中でも起こっているのではないか。

初めは小さな変化なのが、波紋を広げて、大きな変化に発展する。

家庭内で、少しの会話ができるようになり、それが続けば家庭生活は素晴らしくなる。

             

おはよう。

行ってらっしゃい、お帰りなさい。

ありがとう。

おやすみなさい。

        

この挨拶ができれば、いつしか和やかな家庭となる。

考えると当たり前のことが分かり、実行すると、事業も人生も違ったものになる。

不況の深い現状で最も大切なことは何か。

「絶対に、なんとかなるものだ」という気持ちの出発点をもつことだ。

                   

この気持ちを持って、まず、元気になることだ。

元気になってから考え、実行するとそこには、必ず適切な解決策がでてくるものだ。

不透明な状態の中で、「何とかなる」と思わないから、迷いが出るのである。

歴史は、人類が何とかなったことの集積である、そのことを思い出すことだ。

              

 

                    

                    

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2009年2月 5日 (木)

人生・事業が旨くいく真理

「事の成否は恩を記すと恩を忘れるとに係る」

事業や人生が旨くいくかどうかは、恩を忘れないかどうかで決まる、という意味だ。

これは、二宮尊徳翁の言葉である(「二宮尊徳一日一言」致知出版)。

                

お客様があっての事業であり、企業である。

このお客様のご恩を忘れないで、感謝の念を持つ。

今の事業・企業があるのは、創業者や企業を支えた元従業員たちのお陰だ。

創業者や元従業員の恩を忘れずに感謝の念を持ち続ける。

              

お客様や創業者・元従業員の恩を忘れず、感謝の気持ちを持つ。

考えてみれば、当たり前のことであるが、このことを実践している会社は少ない。

しかしながら、このような恩を忘れず、感謝の念をもつ企業が繁栄しないはずはない。

経営危機の現在、このような当たり前のことを思い起こすことが重要だ。

                    

「問題の解決は、問題の内に屈してはならない、問題の外に立て。」

これは、安岡正篤師が山田方谷の教えとして、よく引用されたものである。

経営危機を経営の技法という経営の内の問題と捉えても解決策は出ない。

むしろ、経営の外に立って、恩や感謝という問題とすれば、解決策が出てくる。

                           

着眼点が高ければ、原理原則が分かって、迷うことが無い、ということである。

この教えは、幕末の聖賢のひとりである佐藤一斎の教えでもある。

この佐藤一斎の高弟が山田方谷である。

                

恩を忘れず、感謝をすることの効用は、人生でも同じである。

感謝に満たされた心は、強い力を持ち、無限のエネルギーを発するからである。

その意味では、人間の無限の可能性を開花させるのが感謝なのである。

           

そうであれば、人間の人生も、人間が創り動かす企業も、感謝の効用を受ける。

つまり、人生や企業が旨くいくかどうかは、感謝があるかどうかが左右する。

世の中のことは、実に単純なことの中に、真理が隠されているのである。

                

こう考えると、現在の不況を恐れる必要はない。

人間である限り、人間が創り動かす組織である限り、旨くいく真理があるからだ。

                           

               

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2009年2月 4日 (水)

自分勝手な「福は内」

昨日の夜は、午後8時ごろに、自宅に戻った。

そこで、遅い夕食を摂った。

恵方巻きが主食であった。

            

今年の吉の方角は、東北東であった。

そこで、恵方巻きを、東北東を向いて食べた。

そのとき、いつもの感謝の言葉で祈りをささげた。

それなりに時間がかかったので、実に長い時間、感謝をしていたことになる。

               

遅い時間帯の夕食後、息子とふたりで、「豆まき」をやった。

邪気を払って病気にならないようにやるのが「豆まき」だという。

本来なら、「福は内」と「鬼は外」と叫ぶのだろう。

でも、今年は、息子と相談して、「福は内」だけにすることにした。

               

我が家では、毎朝、感謝の祈りをしているし、そこで健康も感謝している。

そうであれば、毎日、「豆まき」をやっているようなものである。

したがって、簡略版もいいだろうと思って、「福は内」だけにした。

しかも、「福は内」だけやっていれば、何も言わずとも、鬼は退散するだろう。

        

伝統行事なのに、我ながら、気楽に過ぎる気もする。

でも、大切なのは、それをやることで心がすっきりするかどうかである。

伝統どおりでないとすっきりしない人は、そうすればよい。

私みたいに、伝統をはずしても、気分がすっきりするタイプであれば、そうすればいい。

                  

今日は、早朝から忙しくて、やっと、日記を書く時間を作れた。

不況期は、紛争が多くなり、私どもの仕事が多くなるものである。

紛争が多くなることが、「福は内」なのだろうか。

              

紛争自体は福ではないが、それを契機に良くなることは「福」だと捉えたい。

その「福」になるように貢献するのが我々の役割である。

そう考えて、我々の業務も「福は内」業務といえるのである。

我ながら、勝手な理屈を立てているものだ。                                

                 

               

             

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2009年2月 3日 (火)

元気は人生・会社経営に大いに効用がある

どのような会社でも、条件は同じだと思う。

そこには、経営者がいて、従業員がいて、お客さんがいる。

経営者が元気だと、それが従業員に伝染して、従業員が元気になる。

その従業員の元気が、お客さんに伝わり、お客さんを元気にする。

元気になったお客さんのお陰で売上が向上し、社長が元気をもらえる。

               

この元気の伝染力と循環が、会社の成長の原理の1つではないのか。

元気は、誰でも、どこでも出せるものである。

これは、どのような会社でも、どのような経営環境でも変わらない。

元気は、会社成長の無限の経営資源なのである。

                   

不況だ、恐慌だ、と騒ぎ立てる前に、やるべきことがある。

自然界の当たり前のこと、ありがたいことがたくさんあること、に目を向けるべきだ。

難しいことを考えるから、よくない方向に流される。

やさしいことに目を向けると、驚くほど、よい方向に行けるものだ。

              

会社の経営でも、個人の人生でも、同じことがいえる。

人間はありがたいことに、自然の恵み、神仏のご加護の中に生きている。

人間が行う会社も同じだ。

              

ありがたいこと、恵まれていることが日常にあふれていることに気づくことだ。

元気は、空気のように、巷に溢れさせられるものである。

そのため、元気のありがたさ、効用に気づかないのである。

             

何事も、難しいことではなく、やさしいことの中に真理があるものだ。

                                                

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2009年2月 2日 (月)

親に感謝するのはいつか

昨日の午後は、家族で、映画を見に行った。

家族全員で映画を見るのは、久しぶりのことである。

見たのは、「007」シリーズの映画である。

なかなかスピード感があって楽しめた。

             

自分では、珍しいことに、全編見たつもりだった。

ところが、女房から、途中眠っていたいと指摘された。

ポップコーンを食べ過ぎて、眠気がでたのかもしれない。

                 

帰りに、家族でよく行く中華料理店で食事をした。

家族で中華料理を食べるときは、私の最後は、お茶漬けである。

ご飯の入った茶碗にザーサイをのせて、熱いお茶をかけたものである。

中華料理の最後に、さらさら感のあるお茶漬けは美味しい。

                     

息子が、4月から大学に入学することが決まった。 

息子の通うのは、ある大学の付属高校である。

そのため、いわゆる受験勉強もせずに、すんなり、法学部に入れた。

私に似て、息子は勉強が苦手のようであるから、これでよかったのかもしれない。

                 

息子の将来は息子が決めればいいと思っている。

そのため、息子の進学する学部は気にならなかった。

弁護士は素晴らしい職業だと思っている。

だからといって、息子に弁護士を目指すように勧めたことはない。

                  

社会に役に立ち、同時に生きがいを感じるものならどの職業でもいい。

大切なのは職業ではなく、自分が生まれきてよかったと思える仕事をすることだ。

その選択肢の一つに、親のやっている仕事が入る可能性があるに過ぎない。

                     

私が楽しく生きがいを持って弁護士をやっていたら、息子もそうなるかもしれない。

私は楽しそうに仕事をしているのは明らかだから、息子がそう思っても可笑しくない。

ただ、世の中は広いのだから、身近な親の職業だけを視野に入れないでほしい。

もっと広い視野で、本当に自分の使命を感じられる職業を見出してほしいものだ。

                    

親にとって、最もうれしいのは、親が良いと思っている職業に就くことではない。

子供が、この職業に就くために生まれてきたのだと実感できる仕事に就くことだ。

我々の死後でもいい、生んでくれてありがとう、と思ってもらう。

自分の両親のことを思うと、そのことだけのために生きていたような気がする。

                 

生きているときに感謝されるよりも、死後に感謝される親でありたい。

自分の両親から、その死後に教えられたのは、まさに、その点である。

両親の死後、両親に尊敬の念と本当の意味で感謝の気持ちを持てた。

私の両親は、それでよいのだ、ときっと言ってくれそうな気がする。

                

人間の真の価値が定まるのは、死んだ後ではないか。

生きている今、自分がどう評価されているかは考える必要はないのかもしれない。

自分の心に素直になって、楽しく生きがいのある日々を送りたいものである。

                                                                

           

                

                      

               

          

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2009年2月 1日 (日)

研修の費用をカットするのは効率性を低くする

昨日の午後の3時間ほど、当事務所内で国際税務の研修会があった。

今年から始めた所内研修会である。

国際税務の超一流の講師を迎えての本格的な実務研修である。

                    

当事務所の税務担当の弁護士・税理士が22名、参加している。

月3回の土曜日に開催することになっているが、ほとんど欠席者がない。

忙しい人でも、時間を作って参加しているのには、頭が下がる。

                

現在は、驚くぐらいのスピードで従来の常識が変わる激しい時代である。

前期に2兆円を超える営業利益を上げていたトヨタが、今期は大幅な赤字になる。

これは、生半可な時代の変化ではない。

時代は革命的に変化をしている証左であり、強い危機感を持つべきである。

                

こういう時代に対応するには、真剣に勉強することが絶対必要である。

日常の業務に埋没して危機意識を持たなければ、時代に後れることになる。

焦ることは無いが、少なくとも、将来の成長を見据えた対応は必要である。

           

ところが、セミナーの関係者から聞くと、最近、セミナー参加者が激減しているという。

企業関係では、セミナーに参加する費用をカットしているからだろう。

費用のカットという面だけ見ると、経営の効率を上げているように見える。

だが、費用を使うことの経済効果を考えると、むしろ、経営効率を落とすことになる。

                    

研修にはそれなりにお金がかかる。

でも、そのかかるお金以上の価値を将来に生み出してくれる。

私はそう信じているから、不況のさなかに、本格的な研修を始めたのである。

この研修が、将来、きっと大輪の花を咲かせてくれるものと信じて疑わないからである。

                    

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