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2009年1月31日 (土)

夜、帰宅せず、金曜日のフィーバーに

昨日は、地方出張だった。

東京駅に着いたのが、午後10時30分過ぎだった。

疲れているのだから、本来なら、東京駅から帰宅すべきなのだろう。

でも、そうはしなかった。

                

名古屋駅を出るころは、今日は帰宅しようと思っていた。

ところが、あることで、気が変わった。

新幹線の中で聴いていた、ある方さんからもらったMDが原因である。

そのMDには、私が好きになりそうなスローバラード調の曲ばかりが入っている。 

                  

それらの曲は、馴染みの店の人たちが、よく歌ってくれる歌でもある。

それらの曲を聴いているうちに、無性に、その曲を歌ってもらいたくなった。

金曜日というフィーバーする日でもあるので、夜遅くなってもいいだろう。

自分自身にそのような言い訳を用意して、東京駅から馴染みの店に直行した。

           

向島の店に入ったのは、午後11時ごろである。

それから、いつも私の席に入る人たちに、MDに入っている歌を歌ってもらった。

なかなか、旨い歌い方をするので、大いに満足した。

途中、陶然とした気分の中で、眠気がでてきたが、これがいいのである。

             

こうすることで、1週間の疲れ、特に、頭の疲れ、精神的疲労が取り去れる。

言葉の実感として、頭の中が真っ白になるのである。

肉体的疲れは、休息すれば取れるが、精神的疲れはなかなか取りにくい。

私は、この場所に来て、たわいない会話をし、歌を聴くだけで精神的疲れが取れる。

               

帰宅したのは、午前1時ごろだった。

しかし、熟睡できたので、今、気分が爽快である。

今日の午後は、当事務所の税法研修会があるが、元気に出席できそうだ。

               

適度の遊びは、精神疲労を取り去り、仕事や勉強の意欲を与えるものだ。

大いに仕事や勉強をし、それに応じた大いなる遊びをすべきだのだと思う。

これがバランスではないかと思う。

             

私が遊びの効用を知るようになったのは、50歳を過ぎてからである。          

自分でも、遅咲きの花だと思う。

でも、年齢が若いときよりも、壮年以降のほうが、遊びの面白さ、効用が分かる。

壮年以降に、人間としての味わいがあるのではないか、そう実感している。

                            

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2009年1月30日 (金)

幸福になるのは簡単過ぎるくらいに簡単

祈りは、弱い人間が、楽しい人生、幸福な人生を生きるための知恵である。

でも、それができるのは、本来、人間には強い自分がいるからである。

弱い人間に、強い自分がいる?

矛盾しているので、理解しがたいところである。

                 

人間は、強さと弱さの両面を持っている。

人間には、「無一物中無尽蔵」という無限にモノを生み出す力が与えられている。

これは人間の強さの面である。

この強さを利用して、長く潜水できない人間が潜水できる潜水艦を発明した。

                    

その意味では、人間は、強い力を与えられており、これに例外はない。

ところが、人間は、努力を続けることができない弱さを持っている。

誰でも、何らかの意味で、自分を怠け者で弱い人間だと思っている。

人間は、自分が強い力を持っていることを忘れてしまうからである。

              

この人間の弱さと強さの両面のいずれを用いるかは、心が決めることになる。

心が強い自分を向けば、強い自分になる。

心が弱い自分を向けば、弱い自分になる。

人生も同じで、心の向きで、幸福にも、不幸にもなれるのである。

              

つまり、強い人間で生きるか、弱い人間で生きるか、これは自分の心が決めること。

幸福な人生で生きるか、不幸な人生で生きるか、これは自分の心が決めること。

人間でも、人生でも、原理原則は単純すぎるくらいに単純なのである。

          

現在、自分が弱い、人生は不幸だと思っている人がいるとする。

それは、自分自身が自分を弱くし、自分の人生を台無しにしているからだ。

悪いのは、他人ではなく、自分自身なのである。

このことが分かれば、強い自分になる、幸福な人生を送ることは簡単である。

               

自分中にある強い自分に心を向けることである。

自分の心の持ち方で自分の人生を幸福にすることができる。

まず、これが簡単なことだと思うことである。

難しいと考えるから難しくなるので、簡単だと思えば、簡単になるのである。

             

私が祈りを感謝だとして、祈りの習慣を作ることを勧めるのなぜか。

祈りは誰にでも、何処でも出来るし、それは実に簡単だからである。

自分の願望が実現できたとして感謝するのが祈りであり、その祈りが

実現できるのだ、と信じることで、幸福な人生に近づけるのである。

             

私の人生も、この単純な生き方によって、幸福なものになっている。

自分は幸福になるために生まれついたのだ、と信じることだ。

そのためには、まず、最も簡単な祈りを、毎日、続けることだ。

願望の実現を感謝するのだから、それは楽しいことであり、続けられる。

                

そのような単純なことを実行し、さらに、自分が幸福になるように、

前向きに考え、前向きな言葉だけを言っていると、そのうち、よいことに出会う。

よいことに出会う経験をすると、さらに、幸福になることを実践することになる。

その結果、自分でも信じられない幸運に恵まれるものである。

               

信じれば、救われる。

求めれば、与えられる。

これは、人間が人間である限り、永遠の真理である。

この真理を信じたものが幸福の門から入る人間となる。

                                        

                  

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2009年1月28日 (水)

恒例のお参りで、きっと良いことがありそうな気がする

今朝、事務所に出る前に、深川不動尊をお参りした。

25年以上続けている恒例の正五九(しょう・ご・く)のお参りである。

正五九とは、正月28日、5月28日、9月28日にお参りすることをいう。

成田山新勝寺か、深川不動尊にである。

                     

正五九のお参りをして、願い事をすれば、4年後に願いが叶う、と人伝に聞いた。

それが発端で、駄目もとと思い、司法試験の合格祈願をしたら、4年後に合格した。

縁起担ぎの面はあるが、どうせなら続けようと思って、正五九を続けている。

気づいてみると、27年前後、一回も欠かすことなく、お参りを続けたことになる。

                 

前からこの日記を読まれている方は、祈り方の説明をする必要はないであろう。

ただ、初めての方もいるので、祈り方を説明しよう。

将来に実現したいことを実現したものと思って、実現したことに感謝をする。

このように、未来の幸運を感謝するのが祈りの実態である。

                    

考えてみると、これはイメージトレーニング的発想である。

まだ実現していない願い事を、実現したイメージで感謝するからである。

たとえば、司法試験の合格が願い事だとすると、祈り方はつぎのようになる。

「司法試験に合格させていただきました。ありがとうございます。」

                

まじめな人には、このような祈り方はできないかもしれない。

「まだ合格もしていないのに、合格を感謝するなんておかしい」となる。

世の中、まじめな人は、成功者になることは少ない理由がここにある。

願望の実現には、まじめさが妨害することが多いからだ。

             

まじめな論理的頭で考えると、考える視野が実に狭くなる。

現実化していないことに、論理的頭は否定的になるからである。

つまり、現実化していないことには、「できない」理由が並べられるのである。

できないと思えば、できることもできないから、現実化していない願望は実現しにくい。

                  

飛行機のない時代に、「空を飛びたいな」とある人が言ったとする。

「お前は馬鹿か、人間は鳥ではないから、空を飛べるはずがない」と多くの人は言う。

現実から考えれば、多くの人の言うのが正解になる。

ところが、飛べるはずがない空を飛びたいといった人は、現在では大正解である。 

                           

人生を選択する場合に、現実から発想するのか、未来の願望から発想するのか。

社会の多数の人々は現実重視の社会常識に染まっている。

そのため、現実から発想するから、その祈りは、次のようになる。

「司法試験に合格させてください。」

              

これは、「司法試験に合格していない」イメージを自分の心に植えている発想だ。

これだと、司法試験に合格したいのに、不合格を祈っていることになる。

つまり、司法試験が難しいのではなく、自分が不合格を導いているのである。

まじめな人はそのことに気づかない。

                                      

反対に、未来の願望から発想し、その実現をイメージする人がいる。

成功者に圧倒的に多いタイプである。

イメージが未来の実現を先取りしたものであるため、このタイプは成功しやすい。

このタイプは、祈りという形ではなく、自信に基づいたイメージで願望を実現する。

このタイプは強者というべき少数の人たちである。

        

感謝の祈りという方法は、弱者である多数派の人たちに向くやり方である。

私が弱者タイプだから、このやり方を活用しているのである。

                 

業務の合間に書いているので、整合性のない書き方になってしまった。

いずれにしても、今朝のお参りによって、気分が良くなっていることは確かだ。

きっと、今年も良いことが多く生じるだろう、と思えてならない。

                              

                           

          

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2009年1月27日 (火)

人からすごいと思われなくたっていいんだよ

「大事なのは、人からすごいと言われることじゃない。

人間は金持ちでも貧乏人でも、頭がよくてもできが悪くても、

だれでもいつかは死ぬ。

死んだら終わり、だれも変わらないんだ。」

              

これは、死を賭した千日回峰を2回やり遂げた方の言葉である。

その方は、比叡山飯室谷不動堂長寿院の酒井雄哉住職である。

(同住職の著書「一日一生」朝日新聞出版)

                                

人間、誰ひとりの例外もなく、裸で生まれ、何も持たずにあの世に旅立つ。

人間の生から死へという人生の全体を見ると、誰でも同じだということに思い至る。

そう思えば、死に至る道程で、なにもくよくよすることはない、ということなのだろう。

その結果、次のような言葉が続くことになる。

           

「大事なのは、今の自分の姿をありのままにとらえて、

命の続く限り、本当の自分の人生をいきることなんだな。」

          

他人の目などを過剰に意識しないで自分らしく生きることを進めている。

「今の自分の姿をありのままにとられて」という点は、そう簡単ではないだろう。

自分のことが一番分かっていないのが、自分だからだ。

本当の自分を見つけることができれば、本当の自分の人生が歩める。

                           

今、自分が思っているのが自分だ、という考え方もある。

どういうとき楽しいと思うのか、どういう瞬間生きていてよかったと思うのか。

自分が本心から、喜び、楽しむ、そういうことを探してみることでもいい。

そうすることで、本当の自分に向き合える可能性が高まる。

                

そうする結果、自分の中に今まで気づかなかった自分を発見できる。

たとえば、自分を守るために嘘をついたとする。

その後味の悪さに襲われる、ことに気づく。

そこで、嘘を言うことを嫌悪する誠実な自分がいることに気づく。

                       

あるとき、雨にぬれた人のために、傘を貸してあげたとする。

そのため、自分は雨にあたり、着ている物がびしょ濡れになったとする。

でも、びしょ濡れだけれど、清々しい心であることに気づく。

そのとき、人のためにしたささやかな親切を喜ぶ自分に気づく。

                     

日常の当たり前のことにおいて、自分探しの光を当てる。

そこから、真実の自分の一端が見えてくる。

その繰り返しによって、素直な自分らしい生き方ができるようになる。

自分らしく生きることは、誰でもできることのように思える。

                     

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2009年1月26日 (月)

サンタクロース姿の私のイラストの名刺

顔のイラストを使った名刺。

最近の私の名刺である。

サンタクロース姿の私のイラストを名刺に使っている。

               

昨年、あるプロのイラストレーターと知り合った。

その方は、私が大のサンタクロース好きだと知った。

そこで、サンタクロース姿の私のイラストを描いてくれた。

そのイラストを名刺にでも使ってください、と言ってくださった。

               

そのイラストが太り気味のサンタ姿なので、私は図々しく注文をつけた。

「もう少し、痩せたサンタにしてくれませんか?」

この注文を聞いてくれて、その方は、納得できるサンタ姿の私に直してくれた。

           

そこで、昨年の10月前から、このサンタ姿のイラスト入りの名刺を使い始めた。

10月、11月は、時期はずれのサンタ姿の名刺だった。

12月に入ると、クリスマスの時期であるため、サンタ姿のイラストが冴えた。

ところが、1月になっても、このサンタ姿入りの名刺を使っている。

                  

他の人がどう思うかを、私はあまり気にしない方である。

これは一種の鈍感力である。

私にとっては、毎日がクリスマスのようなものである。

そのため、1年中、サンタクロースが出てくるのは自然なのである。

                 

ただ、最近は、赤と白とを用いたサンタ姿を変えようかと考えている。

サンタ姿はそのままであるが、着ているものの色に季節感を出そうかと思っている。

それには、イラストレーターの方と相談して、了解を取る必要がある。

できれば、毎月違った色彩のものにして、12色を使えたらと妄想している。

               

12色の私の名刺を持っている人に、何かプレゼントを差し上げるのはどうだろうか。

こんなことを考えて、遊び感覚で楽しんでいるこのごろである。

現在の私の名刺には、サンタ姿のほかに、「感謝」という言葉も使っている。

これは、「出会いに感謝」という意味で、名刺に入れているものである。

                 

この言葉も、毎月違ってもいいかもしれない。

昨年、12の短い文章をつくった。

その文章を見て、先ほどのイラストレーターが12の文章を12ヶ月に配置する。

その上で、各月の文章にあったイラストを作成してくれた。

           

その毎月ごとの文章とそれにふさわしいイラストを用いて、卓上カレンダーにした。

これはある会社の企画であった。

それを、鳥飼総合法律事務所からの贈り物として、顧問先等に配布した。

なかなか評判がよかったので、また企画してもらって、今年も何かをやってみたい。

                  

遊び心があると、人生は大いに楽しくなる。

自分も遊べ、他の人にも楽しんでもらえれば最高である。

向島の花柳界では、来週から「お化け」のシーズンに入る。

これにも、江戸文化の遊びの精神が残っている。

                 

芸者さんが普段の着物姿と異なる衣装になって座敷に出てくる。

町娘姿もあるし、ハイカラさん姿、巫女さん姿、チャイナ服姿も登場する。

いつもと異なることは、変化があっていいことである。

今年は不況であるからこそ、変化をつけて元気を出す必要がありそうだ。

                     

                  

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2009年1月25日 (日)

今、日本の首相にしたい戦国武将は誰?

1位 織田信長

2位 徳川家康

3位 上杉謙信

4位 伊達政宗

5位 武田信玄

          

「いまの日本の首相にしたい戦国武将は?」

というアンケートが、1月24日付朝日新聞の「be on Saturday」に載っていた。

その上位5人が前記のとおりである。

       

ただ、この問い自体、可笑しいな、と感じた。

現在の日本が直面しているのは、新しい国家の創業ではない。

停滞した現状を打破するという国家の再興である。

戦国武将が得意なのは、創業であって、再興ではない。

                     

質問の趣旨は、今の日本でリーダーシップを発揮してくれそうな人だろう。

つまり、リーダーとしての資質であり、期待度の大きさなのだろう。

今というタイミングである時期の問題を度外視しているからだろう。

そのほうが、回答者には答えやすいからだ。

                   

現在の日本では、既存秩序を無視する織田信長タイプではうまくいかないだろう。

忍耐強く改革を成し遂げるという意味では、徳川家康は最適かもしれない。

「義」と掲げ、国民の意識を統一する上杉謙信は道義が衰退した現在にふさわしい。

こう考えると、戦国武将には、リーダーとしての魅力があるのは確かだ。

              

オバマ大統領が言っていた「我々の国の父」にふさわしい日本人は誰なのだろうか。

それを探すことで、日本の再生の方向性が明らかになるのかもしれない。

祖国に父と呼べる人がいること、立ち返れる原点があること、それは強みである。

               

歴史の長い日本では、なかなか、祖国の父と呼べる人が見つからない。

天照大神がその方であろうか、明治天皇なのであろうか。

難局に際し、その難局を乗り越える時の発言を残した人の言葉が欲しい。

米国の強みは、近い過去に偉大なリーダーの優れた発言が残っている点である。

                       

                

                       

               

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2009年1月24日 (土)

実績を調査して、自分たちが最も驚いた

昨夜は、恒例の金曜日のフィーバーはしなかった。

珍しいことであるが、先週、今週と、向島には行かなかったことになる。

風邪で体調を崩したことが原因だが、無理をしないで、健康第一を優先した。

              

昨夜は、帝国ホテル内のある店で、事務所の弁護士・税理士達5人で会食した。

税務訴訟を担当していたいチームが勝訴したことへの感謝の宴である。

参加者の1人である税務部長は、昨日、成田空港から店に直行してくれた。

ある税務訴訟の調査のために、ニューヨークへ出張していたからである。

               

ニューヨークは、今はともて寒いそうだ。

エンパイヤーステートビルの86階の展望台で外気に触れたが凍えそうだった。

そう言って、ニューヨークの寒さを表現していた。

防寒用にマスクをしていたら、体の大きな黒人2人が怖がって逃げて行ったそうだ。

                    

当事務所は、元々は、国内専門の法律事務所であるが、国際的案件が増えている。

グローバル経済の影響を税務訴訟で実感している。

店に直行した税務部長は、海外出張は今回のニューヨークが初めてではない。

シンガポール、ロンドン、ジャカルタ、香港、中国本土等多岐にわたっている。

                                     

先日も書いたが、当事務所の税務訴訟が勝訴率が高い話が昨夜の会合でも出た。

税務訴訟の全国の平均的勝訴率は、10数%である。

ところが、当事務所の昨年の勝訴率は80%と極めて高い。

実は、この高さに驚いたのは、税務訴訟を担当している我々自身だった。

                 

従来は、勝訴率を計算したことはなかった。

事務所の今後の経営方針を決めるために、税務訴訟の実績数字が必要だった。

そこで、昨年の12月末ごろ、税務部長に勝訴率の調査を依頼した。

                    

税務部長が税務訴訟を担当している弁護士・税理士に調査した。

その結果、正確に言えば、8件の事案で、7件で勝っていたことが分かった。

正確な勝訴率をいえば、87.5%である。

これには、私も、税務部長も、税務担当の弁護士・税理士達もびっくりした。

                 

日常の業務に忙しいと、現在進行している事案に集中している。

そのため、判決があった過去のことに心が向かない。

私を含めた税務担当の弁護士・税理士は、正確な勝率はわかっていなかった。

なんとなく、このごろ、勝訴する割合が上がっていることが分かっていただけだ。

                      

正確な調査結果による勝訴率を知って皆が驚いたのは当然だったかもしれない。

勝訴の割合が高くても、まさか、80%を超えているとは思っていなかった。 

せいぜい、半分以上は勝訴しているぐらいの感じだったからである。

事実は小説よりも奇なり、というがそのとおりの感じである。

                 

昨夜の会合で、今後は、もっと充実した訴訟を展開し、

今まで以上に、裁判所の理解を得られる努力をすることを確認しあった。

人間、面白いものであり、数字が分かると欲が出てくる。

もっとよりよい実績をつくりたいと、皆が言い始めているからである。

                

こういう金曜日のフィーバーもいいものだ、と思った次第である。

                                    

              

              

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2009年1月23日 (金)

言葉は歴史を動かす・・・オバマ大統領の演説草稿に感激

オバマ新大統領の就任演説の草稿(1月21日付日本経済新聞)を読んだ。

演説の草稿を読みながら、自然に涙がでてくるのは、私だけではないだろう。

久しぶりに、人間の言葉の持つ力の凄まじさを味わうことができた。

言葉が挫折した人に立ち上がる勇気を与える確かな力を持っている。

           

この演説で、多くの米国人が米国人であることの誇りを取り戻しただろう。

この演説は、リンカーンのゲティスバーグでの演説に匹敵するのではないか。

そのぐらい、素晴らしく感動的な内容・言い回しに満ち満ちている。

                     

そのいくつかを以下に示したい。

「国民が先祖の理想や独立宣言に忠実であるために前進してきた。」

理想なしに前進はないが、今の日本で、このようなことが言える人がいるのだろうか。

前進するための指標となる国民共通の指標が日本にも必要なことを痛感した。

                 

「今日、我々が直面している危機は現実のものだ。

それらは深刻で多くの危機だ。

短期間では解決できるものではない。

しかし、米国よ、これらは必ず解決できる。」

             

「米国よ」と呼びかかられることは新鮮であり、素晴らしい。

国家を意識させ、そこに国民意識を集中させる効果的な呼びかけだ。

                 

「我々の国の偉大さを再認識するとき、

我々はその偉大さが

決して生まれ持って与えられたものではないことを理解している。」

                                         

「国の偉大さ」を思い起こさせるのは重要だ。

この演説を聴いて、米国民は自分が偉大な国家の一員であることを思い出した。

日本人は得てして、日本が偉大な国家だということを忘れている。

我々の立脚点が国家の偉大さにあることを再確認させてくれる言葉だ。

              

「政府ができること、やらなければならないことはあるが、

この国が頼りにしているのは米国民の信念と決意だ。

堤防が崩れたときに困っている人を受け入れる優しさ、

友人が職を失うくらいなら自分の労働時間を短縮する無私の人、

煙に満ちた階段を駆け上がる消防士の勇気、

これらが我々の運命を決める。」

                

国家の再建が、政府以上に、個々の国民の意識・行動にかかっているのは確かだ。

実に効果的な具体例を用いて、国民を鼓舞している。

           

「いま求められているのはこうした真実に立ち戻ることだ。

求められているのは新しい責任の時代だ。

米国民の一人ひとりが個人、国家、世界に対して義務を負うという認識だ。

いやいや請け負う義務ではなく、喜んでつかむ義務だ。」

               

ケネディ大統領の就任演説を思い起こさせるような国民への問いかけである。

ケネディ大統領は次のように演説した。

「国家があなたのために何をしてくれるかではなく、

あなたが国家のために何ができるかを問おうではないか。」

                         

後は、オバマ大統領の最後の言葉が続く。

これは論評するまでもなく、力強い言葉である。

                           

「米国が生まれた年、もっとも寒い月に、・・・・・

革命(独立)の行方が最も危ぶまれた時、

                  

我々の国の父は人々にこう読むように命じた。

『未来の世界に我々はこう宣言する。

希望と善以外は何一つ生き残ることができない真冬の日に、

一つの危機に接し、都市と国家はともにそれ(危機)に立ち向かった。』」 

                  

「アメリカよ。危機に直面した今、この困難の冬に、

我々は この永遠の言葉を思い出そうではないか。

希望と善によって、氷のように冷たい流れにもう一度勇敢に立ち向かい、

来る嵐に耐えようではないか。

                      

子々孫々が今を振り返った時に、

我々が試練の時に旅を終えることを拒否し、

引き返すことをたじろぐこともなかったということを語り継がせようではないか。

  

地平線に視線を定め、神の慈悲を身に浴びて、

我々は自由という偉大な贈り物を前進させ、

将来の世代に安全を送り届けたということを。」       

                                             

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2009年1月22日 (木)

財布を盗まれたことが最高の幸運を招くものだ

昨夜は、私の企業法務の師である久保利英明先生と会食した。

当事務所の木山弁護士が書いた本を賞賛してくださっての会食である。

その意味では、木山弁護士が招待され、私が陪席した感じである。

               

木山弁護士が書いた勉強の仕方に関する本は司法試験受験生に最適だ。

こう言われて、久保利先生は会食中、何回も激賞しておられた。

法曹実務に使える考え方から書かれた本だから素晴らしいのだそうだ。

単に司法試験の受験のための本ではない点がいいのだと言われる。 

                        

私はその本を木山弁護士から贈呈されているが、読んでいない。

そのため、久保利先生の誉め言葉を聞くだけであった。

著者である木山弁護士は、超一流の弁護士から誉められたので、嬉しそうだった。

                     

若手の弁護士は、このように尊敬する先輩弁護士から評価されて成長していく。

その意味では、久保利先生との会食で、木山弁護士は自信を強めただろう。

実に、ありがたいことであると、久保利先生に感謝するばかりである。

              

会食は、終始、賑やかに談笑し、実に楽しいものだった。

その中で、久保利先生が、オバマ大統領の演説に感激したと話されていた。

その演説の最後のところの日本語訳のコピーを持ってこられた。

独立戦争の中で苦しい経験を乗り越えたことを述べたくだりだ。

              

それを用いて、今回の経済危機も苦しいが乗り越えられると米国民を励ましたのだ。

まさに、危機時のリーダーにふさわしい演説であった。

この演説を聴いて、多くの米国民は感激して泣いただろう。

今の日本のリーダーにも、このような演説をする人物がほしいものだ。

                      

久保利先生との会食後の印象は、

爽やかさの中に元気をいただいた感覚が残った。

                 

久保利先生との縁が深まったのは、福岡である。

先生の講義を聞いた際、私が財布を盗まれたことに始まる。

先生と親しくなれた幸運は、財布を盗まれた不運からもたらされている。

昨夜もこの話がでたが、不運に思えるものが実は最高の幸運となるものだ。

人生は、実に、味わい深いものなのである。

             

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2009年1月21日 (水)

簡単な癒しの方法を教えられた

昨日の昼は、ロータリーに出席した。

私が所属している東京日本橋ロータリーの例会場はパレスホテルである。

パレスホテルは、建て替えのため、2月からは使えなくなる。

なかなか、味わいのあるホテルなので、寂しい気もする。

                

食事の後に、30分の卓話の時間がある。

卓話をされたのは、作曲家・エッセイストの森ミドリさんであった。

昔、テレビでよく見かけた方である。

                     

「チェレスタの演奏」つきで、「間(ま)」の話をされた。

チェレスタという楽器は初めてだが、オルガンのように見えた。

森さんが演奏をされると、その楽器から癒される音がでる。

                          

「チェレスタ」とは、「天空」という意味があるらしいが、確かにそのような音だ。                 

実際に、何曲か演奏があった。

「くるみ割り人形」の一部、「上を向いて歩こう」「ムーンリバー」

オルゴールの音色そのものであり、大いに癒された気がする。

               

森さんは、卓話の中で、癒しの方法をいくつか紹介された。

聴衆である我々にも、実践を求められた。

1つは、呼吸法であり、もう1つは、ハミングである。

                

紹介された呼吸法は、つぎのようなものである。

まず、1,2,3と数えて、鼻から吸う。

つぎに、1,2と呼吸を止める。

さらに、1から15まで数えて、鼻から息を吐く。

                

実際にこの呼吸法をやったが、森さんの数え方はゆっくりである。

このゆっくりした数え方にコツがあるのかもしれない。

確かに、このような呼吸法をマスターしたら、心が落ち着くだろう。

                  

ハミングをすると、右脳を使うのでいいのだと紹介された。

カラオケは左脳を使うから、頭の疲れは取れないのだという。

でも、実際にカラオケをやったときは、あとですっきりする。

それは、気分転換のためか、大声を出す呼吸器の運動があるからだろうか。

                 

実際に、会場にいた人達とハミングをしたが、気分のいいものである。

悲しいとき、気分がふさいでいるときほど、ハミングをしてほしい。

自分の経験を踏まえて、森さんが強調されていた。

今まで、ハミングをしたことはなかったが、素直にやってみようかと思う。

               

森さんのお陰で、癒された30分だった。

                             

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2009年1月19日 (月)

男に騙されるな、騙せ、という蜷川家の過激な家訓

舞台演出家で有名な蜷川幸雄氏の家の家訓は過激である。

「男に騙されるな、騙せ」

「過激に生きろ」

という内容の家訓のようだ。

             

1月17日付朝日新聞の「be evening」で、蜷川夫人が紹介していた。

昨年、朝日新聞のコラムで紹介されて話題になったらしいが、初めて見た。

確かに、蜷川家の家訓は過激である。

内容から見れば、この家訓は、蜷川家のお嬢さんを対象にしたもののようである。

             

とりあえず、参考のために、10の家訓を以下に紹介したい。                        

              

(1)いつでもどこでも男を捨てられる女であれ

(2)経済的にも精神的にも自立せよ

(3)出来るだけたくさんの男と付き合え

(4)なにしてもいいけど妊娠だけはするな

(5)従順なだけの女にはなるな

(6)男に騙されるな、騙せ

(7)なにより、かっこいい女になれ

(8)自分が正しいと思ったら、なにがなんでも突き進め

(9)過激に生きろ

(10)妬むよりも妬まれろ

               

この過激な家訓は、すべての女性に適切なものとは言いがたい。

この家訓どおりの人生を歩んで、幸せを実感できる保証はないだろう。

でも、特定の個性ある生き方がふさわしい女性には、頷ける内容である。

              

蜷川家でも、写真家という特殊な生き方をする長女に、この家訓を与えている。

しかし、そうでない次女には、この家訓を与えていないようだ。

これは、家訓というよりも、長女に対する激励文のようなものである。

              

過激な内容であるが、過激なだけに、長女の方も迷いがない生き方ができる。

しかも、過激であるがゆえに、自分でよく考えて、慎重になる面もあるだろう。

過激な文章の行間に親である蜷川氏の愛情が溢れている気がする。

「過激でもいい、後悔のない人生を生きなさい」という蜷川氏のエールが聴こえる。

                                     

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2009年1月17日 (土)

朝には、昼や夜にはない何かがある

昨日は、早めに仕事を終えて帰宅した。

夜の会合の約束があったが、体調が十分でないので、欠席させてもらった。

おかげで、昨夜は早めに寝たので、睡眠が十分取れた。

そのためか、風邪が快方に向かっているようである。

                        

今、手元に、校正すべき原稿が2種類ある。

今日は、体調を整えることを優先して、一切、原稿を見なかった。

頭が回転しないときの校正は、リズムに乗れないから、いいものにならないからだ。

               

こういうときは、経験上、焦らないことにしている。

焦らず、体調をよくしたほうが、能率が上がり、出来上がりよくなるし、

予定の期限までに原稿の校正が完成するものである。

人間、気力が戻れば、時間が短くても、集中して何とかやれるものである。

                                         

今日は、仕事を忘れ、一日、ゆっくりした気分で過ごした。

そのお陰で、熱も下がり、喉の具合もよくなってきた。

明日の朝から、原稿の校正を順調に進められそうだ。

                        

私は朝型人間で、早起きが習慣になっている。

この早起きの習慣は素晴らしいと思う。

早朝、すっきりした頭で、原稿の校正等の仕事ができるからである。

                    

朝が使えると思うと、焦りの気持ちが消える。

今までの経験で、朝の時間帯がほとんどの問題を解決してくれたからだ。

たとえば、今日一日仕事を休んだ分は、明日の朝で取り返せる。

そのぐらい、早起きは、仕事の面で、大きな効用がある。

                 

以前見た中小企業の成功した経営者に対するアンケートを思い出した。

あなたが成功した理由は何ですか、というアンケートである。

1位は、断トツで、早起きであった。

2位は、会社で一番早く出社するだった。

                        

この理由は、分かるような気がする。

朝には、昼や夜にはない何かがあるように思える。

理屈はつけられるだろうが、理屈を超えた何かがあるように思う。

人間の理性による理屈を超えたところに、人生の秘訣があるのではないだろうか。

                     

                           

                           

                          

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2009年1月15日 (木)

風邪のシグナルを素直に受け止める

風邪でダウン、

これまた、ありがたき人生かな。

現在は、このような心境である。

         

風邪をひき、熱が出ても、昨日は夜の会合を除いては、仕事はした。

喉をやられたので、ダミ声を出し、咳き込んでいたので、周囲に迷惑をかけた。

風邪の感染源なのだから、思い切り休んだ方が、人のためになる。

遅ればせながら、今日は、思い切り休んで、静養しようと思っている。

                  

風邪ひきは、体調管理が悪いことを教えてくれるシグナルである。

少し休むことで大事にならないようにと、このシグナルが導いているのだろう。

つまり、風邪ひきを大事にならないで済む有り難い導き、と捉えることができる。

              

もっと別の面から、風邪ひきを捉えることもできる。

風邪をひくような弱い体質を改善せよ、というメッセージ、と捉えるのである。

負けず嫌いの強気の人間は、こう捉えるかもしれない。

そこで、体質改善に取り組み、風邪と無縁の強い体質に進化するのである。

                  

風邪をひいたとき、それを1つの契機と捉え、前向きなことに活用できる。

風邪は万病の元であるから、風邪を奇縁に万病の元を断ち切れたら素晴らしい。

つまり、風邪も将来の健康から考えると、大きなチャンスなのである。

              

私の場合、年に、1度か、2度の風邪ひきがあり、比較的短い時間で治る。

そのため、風邪を機に、体質改善までの決意に至らないことがほとんどである。

ある意味では、本当の強い自分になるチャンスを潰しているのかもしれない。

                 

今回も、無理して後で後悔するようなことにならないようにという思いが強い。

大火にならないように、小火の内に消火するという発想である。

小火が生じないように体質改善、という発想になっていないのは確かだ。

これもまた、私らしい人生なのである。

           

ただ、最近の自分が変わった気がする。

従来なら、風邪で仕事を休むことはほとんどなかった。

熱がでようが、喉が涸れようが、仕事を休むことは稀だった。

仕事をしているうちに、風邪は治ると信じていたからである。

              

ところが、今回は、無理はしないでおこう、と思って休むことにした。

心境の変化があることは確かなようである。

風邪ひきからのシグナルを素直に受け取るようになったからかもしれない。

無理をしない、一種の自然体の生き方に一歩近づいたのかもしれない。                                

         

              

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2009年1月14日 (水)

ことごとくこれ無限、人生に無駄はない

風邪をこじらせたようだ。

喉をやられ、咳がでている。

熱も出ている感じであるが、私は熱があっても頑張れる。

ただ、今日は早めに帰宅して睡眠を多くとろうと思う。

             

昨日の昼に、ロータリークラブの例会に出席した。

誉められたことではないが、私のロータリークラブの例会への出席率は高くない。

例会への出席率が高い人も多いのであるが、その人達には畏敬の念をもってしまう。

30年、40年、あるいは、50年近く、連続出席者がいることに驚きを禁じえない。

              

昨日、例会に出席し、その際、「ロータリーの友」という月刊誌を貰った。

パラバラめくっていたら、なかなか良いことが書いてある。

その中で、特に、次の言葉が心に残った。

           

「天を拝み、人を拝み、己を拝む。

ことごとくこれ無限」

     

これは、京都大学総長であった平澤興先生の言葉である。

それを、ロータリークラブ会員である吉田修京都大学名誉教授が紹介していた。

平澤先生には、「人間ーその無限の可能性」という著書がある。

         

天は、無限の存在。

その天から与えられた命を持つ人間も無限の可能性がある存在。

したがって、人間である、「他人」も、「自分」も、無限だと言われたのであろう。

      

ついでに、平澤先生の著書「生きよう今日も喜んで」(致知出版社)から、

印象に残るいくつかの言葉を紹介したい。

       

「困難に直面することは自らを如何に生かすかのチャンスである。

ここに人間無限の可能性のスタートがある。」

平澤先生は、人間を無限の可能性ある存在と見ておられた。

        

「あなたは、あなたの知らないところの、

数倍のかくれた素晴らしいものを心の中にもっておる。

とにかく、自信をもって堂々とおやりなさい。」

自分が素晴らしい存在と知ることが人生の始まりかもしれない。

                                  

「人生に無駄はない。

しかし無駄にするか、しないかはその人の心がけによる。」

人生に無駄がないと思えれば、人生は必然的に楽しくなる。

                         

「私は、85歳になって、しみじみ自分の人生に

無駄がなかったことに気付いた次第である。

もっと早くわかっておればどんなによかったか知れない。」

これは実感ある言葉なのかもしれない。

                         

「自分を拝むことが出来なければ、ほんとうに人を拝むことは出来ない。」

自分も他人も同じ人間であり、無限の可能性があるからだ。

自分に無限の可能性があると信じなければ、他人の可能性も信じられない。

                     

「感謝するということは、人間が楽しく生きて、

周囲を明るくし喜びを与える最高の姿である。」

感謝と祈りは人生の真髄なのであろう。

先生の言葉にも、そのため、感謝と祈りのことが多く遺されている。

                               

この平澤興先生もロータリーの会員だったようだ。

ロータリーには素晴らしい人達が集まっているのかもしれない。

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2009年1月12日 (月)

後期高齢者は人生で最も輝きのある時期に生きている

芭蕉が本格的に活躍したのは、現代に引きなおすと、70歳過ぎだという。

物理学者の有馬朗人氏が1月10日付日本経済新聞に書いている。

その表題がいい。

「後期高齢者は活躍の時」である。

                      

芭蕉が新風を生み出したのが、41~43歳のころ。

その後、芭蕉が死去する51歳までが芭蕉が最も活躍した時期のようだ。

江戸時代を生きた芭蕉の41歳は、現在の何歳に相当するのか。

             

平均寿命は、江戸時代は45歳、平成10年は77歳である。

この平均寿命の比較をして、有馬氏は、芭蕉の年齢を現在に引きなおしている。

それによると、芭蕉の41歳は、現在の70歳に相当すると見ている。

(平成)77歳÷(江戸)45歳≒1.7倍と見ているのである。

                       

芭蕉が死去したのは51歳であるから、現在の87歳に相当する。

その結果、芭蕉が最も活躍したのは、70~87歳である。

まさに、芭蕉は後期高齢者のときに最高の活躍をしたことになる。

この有馬氏の指摘は、多くの人々に勇気を与えるものである。

                

私の人生のモデルである北条早雲は、60歳ぐらいから城持ち人生が始まっている。

北条早雲が活躍する室町時代の平均寿命は33歳である。

早雲は、平均寿命を遥かに超えた年齢から新しい人生のスタートを切っている。

それを現在に引き直すと、140歳から新しい人生をスタートしていることになる。

             

これは現実的数字ではないようにも思える。

そこで、江戸時代の平均寿命を用いて、北条早雲の新しいスタートを見てみよう。

それによると、現在の102歳の時に、新しい人生を始めていることになる。

その後87歳まで活躍しているようであるが、これは148歳に相当する。

                        

反対に、自分の現在の年齢が、江戸時代の何歳に相当するかを考えると良い。

現在の40歳は、江戸時代の24歳である。

現在の50歳は、江戸時代の29歳である。

現在の60歳は、江戸時代の35歳である。

現在の70歳は、江戸時代の41歳である。

現在の80歳は、江戸時代の47歳である。              

                     

このように考えると、現在の自分がいかに若いのかが分かる。

定年60歳は、35歳であり、最も充実すべき時期である。

70歳は、41歳であり、全然、老け込む時期にない。

80歳も40歳代後半なのであるから、人生は、これからなのである。

                

40歳でも、50歳でも、江戸の20歳代なのであるから、若者に過ぎない。

青雲の志を抱いても、おかしくない時期である。

現代人は自分の若さをもう一度再確認すべきである。

後期高齢者は人生で最も輝くのある時期に生きているのである。

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2009年1月10日 (土)

今後、どんな不景気に直面しても、対処法はある

平成21年の業務が始まったが、正月早々、実に忙しい。

弁護士業務は不況のときには、一般的には忙しくなることが多い。

不況の時は、信頼関係が崩れ、法律的な争いになりがちだからである。

不況期には、経済的ゆとりも、心理的なゆとりもなくなっているからだろう。

                       

正月早々、相談された事件を見ると、世の中、お金が回っていないことが分かる。

紛争の根っこには、資金繰りの苦しさがあるからである。

資金なしに経営できないから、資金繰りの苦しさを逃れるために無理がでてくる。

その無理が波紋を呼び、法的な紛争に発展しているのである。

                      

100年に1度といわれる経済危機がきているし、信用も収縮し始めている。

そうだとすると、今後は、さらに、資金繰りが悪化し、法的紛争は広範囲に及ぶ。

実体経済の3倍超の信用バブルが崩壊したのだから、本当の不景気はこれから。

大局的には、このように考えることが、自然なのではないだろうか。

                        

これから、どのような不景気が来ても、多数の餓死者がでるようなことはあるまい。

現在の日本社会では、それだけ豊かになっているともいえる。

個人の金融資産は、減ったといっても、約1500兆円弱もあるからである。

社会は、その意味では、いい方向に発展してきているのである。

               

不景気は避けられるのなら、避けた方が良い。

しかし、不景気が避けられないなら、不景気を受け入れて、対処をすれば良い。

危機感をもち、他方で、なんとかなるものだ、そう思えばなんとかなるものである。

むしろ、苦しい時の我慢や頑張りが景気が回復した時の成長・発展に繋がる。

                

不景気に悪いことがあるのは確かだ。

しかし、反面として、悪い分の良いことがある。

悪いことは現実として受け入れ、反面の良い面に光を当てることが知恵である。

まさに、「危機」の「危」の反面の「機」を機会・チャンスと前向きに利用するのである。

                       

「危」に直面することで、経営の原点に気づくこともある。

「危」に直面することで、従来できなかった経営改革ができるようになることもある。

そうであれば、「危」に直面すること自体に問題があるのではないことが分かる。

本当の問題は、「危」に直面して、それに対処できないことにあるのである。

                       

                  

            

                    

                 

                  

                                

              

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2009年1月 9日 (金)

我ながら、驚異的実績に驚いた

以前、当事務所の2008年度の税務関係の実績を書いたことがある。

その一部を訂正する必要がでた。

税務部長にこの日記に書いた数字に間違いがないか調べなおしてもらった。

その結果、一部に間違いがあったので、訂正した。

                  

正確には、次のようになる。

税理士賠償責任訴訟は、5件で判決・和解があり、全面的に勝訴である。

訴訟上の和解も、全面的に勝訴判決と同じ内容である。

つまり、勝訴率は、100%である。

(追記:後日、5件ではなく7件で全面的に勝訴と判明しました。)

           

税務争訟では、5件の判断があり、そのうち、4件で勝った。

そのため、勝訴率は、80%である。

従来の日記で書いた勝訴率の誤りを税務部長から指摘された。

(追記:後日、8件のうち7件で勝訴し、勝訴率は87.5%であることが判明しました。)

               

税務争訟で勝つのは、難しかった時代がある。

いまでも、勝つことは大変難しい訴訟の最右翼であることに変わりはない。

当事務所の弁護士・税理士のチームワーク、優秀な税務専門家のネットワーク。

このように相当数の人員による時間と費用をかけることが勝利には必要である。

                  

確か、一昨年は、税務争訟に4連勝があったし、その前年度は、5連勝があった。

一昨年も、その前年度も、調べていないが、勝訴率は50%を超えていた筈である。

その意味では、ここ数年で、急激に勝訴率が上昇していたのは知っていた。

しかし、よく調べてみると、昨年は、勝訴率が80%だった。

                

正直、この驚異的な勝訴率には、我ながら、驚いた。

税務争訟を始めた後の8、9年間は、敗訴率100%だったのだから。

率直言えば、隔世の感がある。

時代は変わったのだと実感する他ない。

               

税理士賠償責任訴訟も専門分野である。

私が日本税理士会連合会の顧問をしているので、いままで、税理士側にだけ立った。

本当のことを言えば、この訴訟は税理士が勝訴するのが難しい事件である。

それでも、当事務所は、調べていないが、60~70%の勝訴率だったと思う。

それが、昨年は、調べたら、100%の実質勝訴であったので、驚いた。

                

今後は、ケースバイケースで、原告納税者側の訴訟もしようかと考えている。

納税者側の相談を受ける場合も多いが、可哀そうな事案もあるからである。

この点も、時代の変遷を考えるとやむを得ない気がする。

                                            

当事務所は、税務に関する訴訟では、先駆的事務所である。

税理士賠償責任訴訟も、税務争訟も、本格的な専門領域としたのは私である。

当事務所の若手弁護士・税理士が本当によく育ってきた。

それに、ここ、2、3年で優秀な税法学者・課税庁OBの支援体制が整備された。

                 

これらの人々の熱意溢れる支援によって初めて、驚異的実績を残せた。

そのことに、心から感謝したい。

今後は、キャッシュフロー経営の要である税務という点を啓蒙したい。

税務部門が営業部門よりも経営効率を高める利益創造部門だからだ。

          

結論しか、ここでは書かないことにしたい。

ここでは、税金10億円がいくらの売上高に相当するかを示す。

ある大企業の売上高純利益率は1.67%である。

この企業だと、税金10億円は、売上高600億円に相当する。

                

中小企業の製造業の売上高純利益率の平均は、0.9%である。

中小企業では、税金10億円は大きすぎるから、税金1億円で計算しよう。

このような企業では、税金1億円は、110億円の売上高に相当する。

                  

このように考えると、企業経営における税金は経営の効率化の対象となる。

ところが、税金問題を真剣に考える経営者は、極めて稀である。

日本企業の実態は、企業の血液であるキャッシュフローを重視していないからだ。

この点を是正するように、私は啓蒙活動を実践したいと思っている。

                                

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2009年1月 8日 (木)

お金が移動するのはなぜか

中国では、商売の神様が二人いる。

ひとりは、秦の宰相の商君である。

もうひとりは、蜀の武将の関羽である。

              

この二人の共通点は何か。

それは、信義である。

商君は信義を重んじて信賞必罰を行った。

関羽は信義を重んじて、主君である劉備に忠誠を尽くして死んだ。

                  

信義と商売とはつながりにくそうな気がする。

ところが、深い関係があるのである。

商売は経済問題であり、お金の問題のように見える。

しかし、商売は人間問題であり、信義の問題だったのである。

              

考えれば、当たり前のことである。

お金が勝手に移動することはない。

お金を移るさせるのは、買い手という人間である。

つまり、買い手が売り手を信じてこそ、初めてお金が動くのである。

                

お金のために信義を考えないことが多いのが昨今である。

経済も人間学であるという当たり前のことに戻って考えたいものである。       

                

                

                      

                      

                 

                  

                     

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2009年1月 6日 (火)

吉永小百合さんは常識破り?

吉永小百合さんの大きな2枚の写真がある風景。

吉永さんのファンである私にとって、気分の良いものである。

その風景があるのは、法律事務所の私の部屋である。

           

1枚は、吉永さんの着物姿のカレンダー。

文字通り、「可憐だー」と呼びたい。

もう1枚は、ある会社の宣伝用に使われている洋装姿のポスター。

会社の方に無理を言って、いただいたものである。

                  

その吉永さんが、常識破りのことを言っている。

「桜をあしらった着物を季節を問わずきるようになった・・・。」と。

桜の着物は、桜の咲く季節に着るのが普通なのに、季節を問わないのだそうだ。

1月5日付日本経済新聞夕刊の「こころの玉手箱」にある吉永さんの言葉である。

                 

吉永さんが常識破りをやるキッカケを作ったのが、宇野千代さんだという。

宇野千代さんは、有名な作家であるが、世間の常識を気にしない人らしい。

「桜は日本で最も愛されている花なのだから、一年中着たってかまわない。」              

実に、分かりやすいから納得でき、しかも、勇気ある理由である。

             

こういう理由を聞くと、社会の常識って、何なのであろうか、と思ってしまう。

なぜ、桜をあしらった着物は桜のシーズンに着るものなのか?

社会の常識にも、このような理由を問う必要がある。

                

なぜか、は分からないが、吉永さん場合、和服姿も、洋服姿もいいものだ。

この感覚に理由はいらないだろう。

               

                 

               

           

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2009年1月 5日 (月)

うろたえるな、太陽がある限り

「うろたえちゃ、いけません。」

なぜか?

           

「売れたり売れなかったり、苦しいこともありました。

そんな私がいつも思うものは

『人間、太陽がある限り生きていける』

ということです。」

             

この存在感のある言葉は、俳優の仲代達矢さんの言葉である。

1月4日付の朝日新聞の「耕論」に掲載されていた。

極貧のなかで育ち、「米一粒を食えなかった」時期を過ごした人の言葉だ。

ずっしり、心に響く言葉である。

               

76年の歳月の中、不安定な俳優業を60年やってきた人、仲代さんの言葉だ。

この言葉には言葉の外に飛び出る力がある。

私は、この言葉から勇気が貰えた。

現在の、そして、これから体験する未曾有の不況も、頑張って乗り越えられそうだ。

                

「太陽があれば生きていける」という言葉から連想される人物がいる。

我らが青春の群像、坂本龍馬、その人である。

その発する言葉が人を動かす。

「太陽に向かったままの姿勢で死ね」

               

まさに、青春そのものを示す言葉であり、私の生きる指針でもある。

76歳の仲代達矢さんは、今も、太陽を目に入れた青春を送っている。

                                       

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2009年1月 4日 (日)

社会が暗くても、自分は明るい年にしよう

「2009年は明るい年になると思いますか?」

これは、1月3日付朝日新聞の「be on Saturday」でのアンケートである。

         

アンケートの回答者数3241人の結果はどうか。

Yes と回答した人は、  9%

No  と回答した人は、64%

分からないとの回答、 27%

             

圧倒的に、09年は明るい年にならない、というのである。

これが社会の空気を作り、その空気が社会の流れを作るものである。

そうだとすれば、今年、09年は明るい年にはならない可能性が高い。

        

では、明るい年とならない理由は何か。

そのべスト5を紹介しよう。

    

1 企業の倒産や失業が増える

2 景気が悪化する

3 政治の混乱が続く

4 世界経済が悪化する               

5 生活が苦しくなる

               

これでは、消費者心理が冷え込み、昨年以上の不景気になるだろう。

これでは、今年、09年が明るい年になるとは思えないのも納得できる。

でも、それで納得してはいけない。

           

社会全体が明るくなくても、それに自分が染まる必要はない。

社会全体が暗いなら、むしろ、自分ぐらい明るくなる必要がある。

社会環境を理解することは重要だが、その環境に染まるかどうかは別である。

人間は、社会環境に影響を受けるが、それを避けることも可能だからである。

               

自分が明るい年にしたいのであれば、社会の暗さに付き合う必要はない。

できれば、自分が社会を明るくしてやるぞ、ぐらいの元気がほしいものである。

すくなくとも、自分自身は明るい1年を送るつもりになる必要はある。

           

今年、09年に自分を成長させる必要があるなら、明るさを方針とすべきだ。

そのためには、09年の目標を立てると良い。

目標は、現状より高い自分になる希望・志を示すものである。

その意味では、現状よりも明るい未来が想定されている。

             

目標は何でも良い。

現在の自分よりも、一歩でも、一段でも進歩があるものであればよい。

目標を立てることに慣れていない方は、達成可能なものにするとよい。

達成可能であれば、その達成感を味わうことができ、来年も目標を立てるからだ。

              

このように目標を立てる生活が続けられれば、いつしか、大きな目標も立てられる。

それは、長年の習慣による自信が生まれるからである。

自信が生まれると、目標の達成が容易になる。

その結果、自信がついてくるから、更なる飛躍の目標を立てられる。

              

今年、09年は是非とも、明るい年にしたいものである。

                                

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2009年1月 2日 (金)

激動期の今後、平成の偉人が登場するかもしれない

今年は、激動の1年だと予想できる。

そのため、社会的にみても大きな変化が目立つだろう。

たとえば、株価が更に大幅に下落する、倒産件数が大幅に増加する等の報道である。

今年中に衆議院選挙があるから、政権が民主党主導になる可能性もある。

                  

ただ、こういう場合に、社会の激しい変化に心を奪われてはならない。

正しい判断をするには、自分の心を平静に保つ必要がある。

こういう場合にも平静な心でいられるのが人物である。

その意味では、こういう時代にこそ、人物になるチャンスに恵まれることになる。

                 

本当の学問や教養は、社会が激動しても、動じない心を養うためにある。

そのため、これを実学というのである。

動じない心の持ち主でなければ、実際の役に立たないからである。

激動の時代の始まりに当たり、学問・教養を身につけるチャンスが到来した。

                  

ある意味では、政局も経済対策も混乱期にあるようにみえる。

そういう時代だからこそ、激動の状況に動じない人物が登場する可能性がある。

幕末から明治にかけての激動期に多数の偉人が登場した。

それと類似する状況にある現在、平成の偉人が登場するのか、楽しみである。

                              

                 

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2009年1月 1日 (木)

暦の正月と心の正月

今日は、平成21年1月元旦。

今日から、新しい年が始まる。

時間に区切りがなければ、時間的には、今日も昨日からつながっている。

                         

しかし、時間を区切ることで、昨年と今年を分け、今日は新年の元旦となる。

この時間の区切りを活用すれば、昨年までのことを切断することができる。

そうすることで、今日の正月元旦に新たな気持ちでスタートが切れる。

思い立ったが吉日というが、多くの人達にとって、暦の上での区切りは便利だ。

                 

正月元旦、という暦の日になるだけで、気分が新年を迎える気になる。

昨年までの失敗も、この正月を迎えることで、取り返せるような気になる。

その意味では、暦を人間の気分を一新する効能がある。

今日から行いを改められない人間は、その弱さを暦を梃子にして改めようとする。

                    

思い立ったが吉日、ということで即時実行に移せる人にとって、暦の意味は少ない。

自分の考え一つで、暦にとらわれずに自由な日にすることができる。

暦は便利に使うものであると同時に、暦に捉われない考え方もいいものである。

大切なのは、それぞれに人にとって意味ある人生になるかどうかなのである。

             

今日、暦の効用を用いて、今年1年の目標を立てた。

今年の途中で、新しい目標ができたら、暦に関係なくその日を元旦にするのも良い。

           

人間の心は不思議である。

無限に使おうとすれば無限となり、有限に使おうとすれば有限なものとなる。                

心の効用は、その心の持ち主のこころのありようで決まるものである。

できれば、無限を理解し、必要に応じて有限な使い方をしたいものである。

                    

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