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2008年11月30日 (日)

不景気は人生を教えてくれるチャンス

早いもので、明日から師走である。

今年は、例年以上に、忙しい師走になりそうである。

現在、不景気が進行中であり、不景気になると、弁護士は忙しくなる傾向がある。

こういうときこそ、むしろ、元気を出して働きたいものである。

                

不景気は、悪い面ばかりではない。

不景気の時には、危機感をもつことができるメリットがある。

危機感があれば、「危」険ばかりでなく、「機」会と受け止めることもできるからである。

           

この点に関して、参考になる記事があった。

13ゲーム差をつけていた阪神が巨人に逆転優勝をさらわれた事に関する。

「なぜ負けたのか。

私には、大差をつけて心が緩んだとしか思えない。」

        

反対に、巨人が優勝を掴んだのは何故か。

「巨人が勢いに乗ったのも『一丸となってイケイケ、ドンドン』という気持ちを

作り出せたからではないか。」

         

以上のように述べているのは、伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長である。

11月29日付朝日新聞の「be on Saturday」の「負けてたまるか」に書いている。                    

的を射た分析のように思える。

           

さらに、丹羽会長は述べている。

「何事も心の持ち方、精神が大事なのだ。

自分に負けない強い心に鍛えなければいけない。」

             

不景気のときこそ、自分に負けない強い心を持ってもらいたい。

そのような心の持ち方ができる人は、不景気の時に実力が見えるものだ。

このような心の持ち方の人は、他の多くの人達と違っているからである。

               

不景気の時には、多くに人たちは、不景気を前に、心が下向きになる。

ところが、自分に負けない心を持っている人の心は上向きになっている。

心が上向きになっていると、他の人に見えない言動を取ることになる。

その言動が他の大勢の人と異なり、目立つ原因となる。

                 

心の向きが上か下か、この差異が人生を決定的に異なるものとする。

幸福になるか否か、成功するか否か、これも心の向きが上か下かで決まる。

不景気の時は、その心の向きがはっきり見えやすいだけのことである。

           

そのことから、次のようにいえるだろう。

不景気の時ほど、どういう生き方が望ましいかを知るチャンスでもある。

                

            

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2008年11月28日 (金)

劣等感は素晴らしい一生の友

「劣等感も一生の友となる」

「借金が生きる支え」

        

いずれも、11月27日付朝日新聞夕刊の同じ紙面の表題である。

「劣等感・・・」は、佐々木閑花園大学教授の文章である。

「借金が・・・」は、中村玉緒さんの話を聞き取ったものである。

          

普通の人なら、次のように言いたいだろう。

「劣等感は一生の敵」

「借金は生きる妨げ」

               

ところが、佐々木教授と中村玉緒さんは、普通の人と異なる言葉を用いている。

佐々木教授は、劣等感を前向きに受け止められる仏教の考え方を説かれる。

劣っていることを謙虚に受け止めることで、傲慢にならず、「まだまだやれる」と。

「劣等感は心の大切な栄養」だというのである。

               

劣等感は、他人に劣っていることを認識することである。

他面から見れば、自分よりも優秀な他人がいることでもある。

それは同時に、自分よりも優秀な他人の中で飛び切りの人を知ることでもある。

         

それは、優秀な人に謙虚に教えを受けるチャンスを得られることでもある。                 

経営的センスのある人であれば、劣等感は、最高の頭脳を活用できることでもある。

このような発想で大成功者になったのが鉄鋼王と呼ばれたカーネギーである。

劣等感も捉え方で、人生を稔り豊かにしてくれる。

         

借金も、マイナスで捉えず、生きる力の源泉として捉えたのが玉緒さんである。

「私はむしろ、主人の借金を支えに生きてきました。

これで返済のめども立ってきました。」

              

ご主人とは故勝新太郎さんであることはいうまでもない。

勝さんが遺した借金を相続し、その返済をしてきたのである。

この借金の返済は、常に勝さんの姿を頭に描いて生きている証でもある。

つまり、借金を返済することで、未だに勝さんと一緒の人生なのである。

                            

玉緒さんは、次のように言う。

「私、鴈治郎の娘であることは忘れても

勝新の妻であることを忘れたことがありません。」

          

一人ひとりの人生には味わい深いものがある。

素晴らしきかな人生、ではないだろうか。

                               

               

         

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2008年11月27日 (木)

縁起かつぎは、明るい未来を招く

昨日、鳥の話を書いた。

そこで、「ふくろう」のお守りのことを思い出した。

「ふくろう」は、古来、縁起のいい鳥としてお守りになっている。

神からの使い、英知の象徴として、幸福を呼ぶものと考えられたからである。

                

縁起のいい鳥とされるので、当て字を用いて、縁起かつぎに活用される。

「不苦労」と当て字して、苦労なし。

「福来郎」と当て字して、幸福を招く。

「福老」と当て字して、幸福な晩年、不老長寿。

「福籠」と当て字して、縁結び。

          

「ふくろう」の首が回ることから、商売繁盛。

「ふくろう」は英知の象徴だから、学問向上。

実に、いろいろあるものである。

             

少なくとも、「ふくろう」によってかつぐ縁は、前向きなものばかりだ。

つまり、「ふくろう」からイメージするものは、明るい未来を示すものだ。

明るい未来をイメージすれば、明るい未来の可能性が高まる。

「イメージ=思いは実現する」のが、人間の摂理だからである。

         

その意味では、「ふくろう」の縁起をかつぐことは、いいことである。

もともと、縁起をかつごうとすること自体、明るい未来を望んでいる。

その思考の方向性自体に、明るい未来が含まれているのである。

                 

古も、現在も、凡そ人間は、縁起をかつぐことが多い、

この縁起をかつぐ人間の特性が、人類に進歩をもたらしたである。

縁起をかつぐ人間の特性がある以上、人類の未来は現在より進歩したものとなる。

人類の未来の進歩を信じることができれば、我々は悲観せず、明るく生きていける。

進歩する明るい未来において、我々が今以上に悪くなることはないからである。

                                                                

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2008年11月26日 (水)

雑誌に「鳥飼」を見つけた

先日、新幹線に乗っているとき、座席に置いてある「ひととき」という雑誌を手にした。

その表紙の「特集『鳥よー天翔けるもの』」に魅かれたからである。

目次を見たら、「鳥を飼う日本人」(細川博昭著)という項目があった。

「鳥を飼う」は「鳥飼」に読めるので、私としてはこの記事を読まざるを得ない。

                      

この記事を読むと、「飼い鳥史」という研究があるという。

「飼い鳥」と書かれると、「鳥飼」である私は逆立ちした気になる。

言葉の前後を換えることに過ぎないのに、自分の苗字だと関心を持つものらしい。

人間とは面白いものである。

                

鳥は、次のような神話にも登場する。

「ヤマトタケルが死んだ際、その魂が白鳥になって飛んでいった」

鳥が魂を運び、死者と生者との間を行き来する存在だったからできた神話のようだ。

           

遠い昔の人々にとって、空は人間の力が及ばない存在だった。

現在のように、空は飛行機が自由に行き来する場所ではなかった。

そのため、人間の力が及ばない空を自由に舞う鳥に特別な思いを持ったのだ。

              

ところが、空を飛ぶ鳥を見て、鳥のように飛びたいと思う人々が登場する。

人間の力の及ばない空に、人間の力を及ぼそうとしたのである。

このような破天荒な考え方から、飛行機が生まれることになる。

この破天荒な考え方を「自由」というのであり、人間の可能性を象徴するものである。

                    

この自由を最も重視する国が米国である。

自由は、人間の想像を絶する能力の高さから、行き過ぎを生じることもある。

その一つが、地球環境の破壊である。

最近では、金融工学を駆使したデリバティブがサブプライム問題を引き起こした。

             

米国は、自由を尊重するが故に、金融への規制を嫌う。

この点は、米国らしいと見ることができる。

建国の精神を大切に思うことは尊重すべきである。

ただ、自由の基本は維持しながら、最小限度の規制は必要だろう。

              

いずれにしても、「飼い鳥」の記事を読んで「自由」を思うことができた。

           

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2008年11月25日 (火)

豊かな人生は、前向きな思考か、前向きな行動から

諸般の事情で、ここ暫く、本ブログを書けなかった。

本ブログを書くのも、800回を超えた。

三日坊主の常習犯の私に、よく続いたものだ。

                

このブログが続いたのも、書く目的があったからである。

当初は、せいぜい、3~6月でブログを中止する予定だった。

それが、想定外のことが起こり、そこから、書く目的が生まれた。

その意味では、このブログが続いた理由は偶然からである。

                

世界のホームラン記録を出した王選手の野球をやる目的の変遷と同じかもしれない。

当初、王選手がホームランを狙ったのは、自分のためであった。

つまり、自己実現という目的のためだった。

               

ところが、その目的に変化が生じる。

ホームランを打ち続けている間に、気づいたことがある。

自分がホームランを打ち続けることをファンが支えてくれ、応援してくれる。

             

その気づきから、ホームランを打つ目的が変化する。

自分を応援し、期待してくれるファンのためにホームランを打ちたい。

ファンのため、という目的になったのである。

自分という個人的存在から、ファンに期待される社会的存在になったのである。

                  

これは、ある意味では、王選手の人間的成長である。

このような人間的成長は、誰にでも、当てはまることである。

自分のことしか考えられなかった人が、自分が社会に生かされていることに気づく。

そこから、新しい自分が始まるのである。

             

衣食足りて礼節を知る、という言葉がある。

経済的に大変な時期は、自分のことで精一杯になることが多い。

しかし、経済的に余裕が出てくれば、社会的礼譲をわきまえるようになる。

しかも、社会的礼譲を知ることで、更に社会的な成功をするようになる。

                                   

いずれにしても、頭で考えていただけでは成長は期待できない。

ものごとの実現には、行動が必要不可欠である。

私も、ブログを書き始めなければ、ブログを書く目的を持てなかった。

ブログを書くという行動が、私の人生に新しい目的をもたらしたのである。

                      

人間の行動の中で、日常的に使うのが「言葉」である。

「言葉」も行動の一種であり、しかも、人生を変える力を持っている。

「言霊」であり、魂という人間の無限のエネルギー源に繋がっているからだ。

日常生活に使う言葉を変えるだけで人生が変わることになる、ということになる。

             

自分を幸福者にするのか、自分を成功者にするのか。

それは、自分が日常使う言葉によるとも言えるのである。

薄汚い言葉を用いて、喜びに満ちた人生を歩める筈はないのである。

              

ブログを書くことは、言葉を使って行動することに他ならない。

しかも、私の書く言葉は、前向きなものになっている。

そのためか、ブログを書き続けてきたお陰で、以前にも増して人生が楽しくなった。

従来の私は弁護士オンリーの職業人生だったが、今は、人間らしい人生がある。

                 

思考が行動を生み、行動が思考を生み出すとういう循環関係にある。

いずれが先でもいい。

前向きな思考、前向き行動を始めることが人生を豊かにしてくれる。

これは、私が保証するのではなく、全知全能の摂理が保証してくれる。              

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2008年11月19日 (水)

日本一の投資家は宗教家?

日本一の投資家は、社会や人間の本質を理解している。

保有株式300億円(2006年当時)を保有しているのが竹田和平氏である。

同氏の話が、11月16日の日経ヴェりタスに出ていた。

その話に、同感だと思ったり、なるほどと頷いたりした。

          

「不平不満は好きな人に寄ってくる。」

だから、「不平不満は口にしない」という。

この発想は、言葉の持つ方向性が人生を左右することを知っているからだ。

不平不満の言葉が不平不満を言いたくなる状況を自ら作っているのである。

          

次の言葉が素晴らしい。

「宗教ぽいって言われるけれど

『ありがとう』を百万遍唱え、くすぐってでも笑う」

これが「日本一」の投資家となる源泉である。

          

宗教的でなければ、日本一になれるはずもない。

宗教的とは人間の創造力の本質を理解しているということだからである。

竹田氏は、人間の無限の創造力を活用して日本一の投資家になったのだろう。

人間の本質を理解すれば、株式相場の動きに心は動じないで、蓄財ができる。

             

「ありがとう」は、人間の創造力の最大の源泉である。

人生でも、ビジネスでも、「ありがとう」の心を持てば素晴らしい結果が待っている。

人生では、幸福が降ってくる。

ビジネスでは、成功が待ち構えている。

        

「ありがとう」の言葉・心が、「ありがたいこと」を招くからである。

「ありがたいこと」の内容は様々であるが、幸福であり、成功である。

竹田氏の場合は、株式投資の成功が「ありがたいこと」の内容である。

「ありがとう」を連発する人で、不幸な人・成功できない人はいないはずである。

             

「くすぐっても笑う。」も、素晴らしい言葉だ。

「笑う門には福来る」というのは人間における摂理だからである。

笑っている人には、不幸や不成功は寄りつかない。

笑いによって、不幸や不成功を心の外に追い出してしまうからだ。

             

ある意味では、笑いは、2月3日の豆まきをしているようなものだ。

笑い声が、「鬼は外、福は内」の働きをするのである。

毎日、笑いがあれば、毎日、豆まきをしているようなものだ。              

このように笑いに溢れ人に、鬼である不幸や不成功は近づけるはずもない。

           

人生を複雑に考える必要なない。

人間の本質を理解すれば、人生は単純である。

人間の本質は単純だからである。

人生を複雑にしているのは、人間の多様な現象に心を奪われているからだ。

                  

自分が幸福・成功を選ぶか、不幸・不成功を選ぶかが人生なのである。

その選択をするのが、心の用い方であり、その結果としての言動なのである。

自分の人生は、自分が主人公であり、自分で自由自在に決められるものである。

そのことが分かれば、不幸や不成功などとは無関係になれる。

                  

人間が単純であるから、人間が作る社会も単純である。

それが社会や世界についての大局観になる。

竹田氏は次のように言う。

         

「今後、・・・・・つぶれる会社もあれば、生き延びて増配する会社も出てくる。

資本主義は増配の歴史だがね。

そうやって世界は進歩してきた。」

              

「増配の歴史」「世界は進歩してきた」という言葉に、大局観が出ている。

このような大局観があれば、今回の混乱にも、楽観的な態度でいられる。

相場で右往左往しない態度が日本一の投資家を生んだのである。

                                      

            

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2008年11月18日 (火)

1930年代のルーズベルト大統領の言葉

今日も、伊東のサナトリウムから事務所に来た。

昨日と同じ時間帯である午前9時ごろ到着である。

新幹線の中で、日本経済新聞を読んで、切抜きをした。

正確に言えば、保存する記事を破り取っていたのである。

                  

その破り取った記事の中で、なるほど、という文章が目に入ってきた。

「『大機小機』の『30年代』にならない理由」という題の論考の中にあった。

1930年代にニューディール政策を展開したルーズベルト大統領の言葉である。

                 

「われわれが恐れるべき唯一のことは、恐怖それ自体だ」

              

確かに、現在の経済情勢は、1930年代の恐慌と比較されることが多い。

その恐れが消費者心理に影響し、その影響が実体経済を悪化させる。

今後は、実体経済の悪化が、さらに、消費者心理に恐怖を植えつける。

この悪循環が、ついには、恐慌を引き起こす可能性があるといえる。

               

恐れは、それは現実に起こっていないことを想像するに過ぎない。

しかも、その恐れは、現実化しないものであることがほとんどである。

ところが、その恐れが強い場合に、起きないはずの恐れが現実化することがある。

つまり、恐怖が恐怖した事柄を現実のものにするのである。

                 

恐怖を避けるために、根拠もなく、「大丈夫だ」といっても役に立たない。

実際に経済状況が良くなることを示すのが一番の説得力である。

それが難しいなら、恐慌になっても安心であることを納得させる必要がある。

           

ただ、人類の歴史は、どんな困難も乗り越えてきた実例で溢れている。

そのような視点から見れば、仮に、恐慌になってもそれを乗り越えられる。

その意味では、大局的には、恐れを抱く必要なない。

現に、1930年代の恐慌は克服されたのである。

          

このような究極は心配ない、というところから考えた方が冷静になれる。

覚悟さえ固めれば、恐怖自体から解放されるだろう。

その結果、むしろ、恐慌時はチャンスだという前向きの発想になれる。

今、求められているのは、この前向きの発想である。

           

                

 

        

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2008年11月17日 (月)

人間って、面白い

今朝は、断食をしている伊東のサナトリウムから事務所に来た。

サナトリウムを午前7時前にタクシーで出発し、熱海に出て、新幹線に乗った。

午前7時台に、熱海駅に停まる「こだま」の本数が多いので助かる。

お陰で、午前9時ごろには、事務所に入れる。

           

今朝の朝食は、新幹線の中である。

断食中の朝食は、「りんごとニンジンのジュース」である。

空腹感を満たなさいところがいいところである。

たまには、空腹感を持つことは素晴らしいことで、これが断食の醍醐味でもある。

               

サナトリウムには、携帯用のコンピュータを持参した。

ところが、どういうわけか、事務所のサーバーと接続できなかった。

そのため、昨日は、大量のメールを見ることもなく、むしろ、のんびりできた。

             

昨日の午前中、雨が止んだので、一碧湖まで歩いた。

いつもなら、一碧湖美術館に寄って、紅茶を飲んで湖を眺めるところである。

しかし、雨が降り始めたので、湖を眺めることを止めた。

小田原行きを急ぎ、美術館前でバスに乗って伊東駅に出て小田原に向かった。

             

小田原城では、菊祭りが行われていた。

いろいろな種類の菊があるものだ、と感心した。

人間も並べてみたら、同じようなものなのかもしれない。

          

小田原城の天守閣からは、晴天であると、目の前に相模湾が見えるはずである。

ところが、雨模様のため、残念ながら、相模湾を見ることができなかった。

それでも、我が人生の範たる北条早雲の空気に触れることはできた。

その空気に触れることが小田原城行きの目的だから、最高の気分である。

           

時々は、このような空気に浸るのもいいものだ。

北条早雲がいるはずもないのに、時空を超えて、いるような気になる。

このような気になる人間の心とは実に不思議なものだと思う。

人間の本体である魂が時間と空間を超えて存在するからだろうか。

    

このように考えると、日常の些細なことに心を煩わすのが馬鹿馬鹿しくなる。

人間は、もっと、大らかに生きるのが人間らしいのかもしれない。

サブプライム問題に端を発する現在、金融危機や経済の変調に大騒ぎであるが、

悠久な歴史から眺めれば、人間社会の発展の一契機と捉えることもできる。

           

人間は、考え方一つで、慌しくもなるし、平静でいることもできる。

証券市場の相場の激しい乱高下に、心を乱す人も多いだろう。

心を乱すのも、人間らしくていいのかもしれない。

それによって、相場が動き、それが投資家の心を乱し、更に相場が動く。

                

投資も、相場の動きと投資心理との循環関係に妙味があるのだろう。

投資家皆が冷静であれば、相場が動かず、面白くないことになるかもしれない。

人間事象とは、考え方によっては、興味深いものがある。                 

                          

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2008年11月15日 (土)

外国人から江戸文化による接待を受けた

昨夜は、外国人の方の招待で、江戸文化を楽しんだ。

その方の服装は、和服であった。

江戸文化を楽しむ時は、昨年から、和装になるのが恒例になった。

日本料理も、箸を上手に使いながら、味を楽しんでいる。

                 

その方から土産に版画をいただいた。

うつ病であったが、現在著名になっている画家の作品である。

ロンドンの市街を描いたものであるが、なかなか明るい画風である。

          

その方は、芸者さん達の土産も持参していた。

その気配りには、芸者さん達は驚きの声をあげ、かつ、大いに喜んでいた。

さらに、土産は、女将さんと若女将さんの分も用意されていた。

このように用意周到な気配りは、本来は日本の文化のような気がする。

               

話は変わるが、今日から断食である。

今年、3回目であり、今年最後の断食でもある。

このごろ、飽食気味であるので、疲れた胃腸を休める良い機会である。

断食自体に何の苦痛もないので、空腹感の爽快さを味わおうと思う。

           

断食が終わると、忘年会シーズンに入る。

断食後の猛烈な食欲をどれだけ抑制できるかが課題になりそうだ。

いずれにしても、断食を楽しみたいものである。

           

                             

               

                     

                           

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2008年11月14日 (金)

「幸せ探し」をしませんか?

「健康にまさる富はない」

ある知人からのメールにあった言葉である。

健康であることは「ありがたいこと」である。

多くの人では、健康のありがたさを感じるのは、病気になった時が多い。

               

でも、健康のありがたさを感じるのを、病気になるまで待つ必要はない。

毎日、健康であることに感謝することもできる。

私は、毎日、感謝の祈りをしているが、その中に健康は含まれている。

健康を含めた感謝の祈りの時間を持つと、心が落ち着く。

           

日常生活の中にある「当たり前のこと」に感謝の種が転がっている。

感謝の種を日常に探すのは、「幸せ探し」「元気探し」「運・ツキ探し」である。

「笑顔」を向けてくれる人がいるだけで、嬉しくなり、感謝したくなる。

仕事があること、人に接することも、考えれば、ありがたいことで感謝したくなる。

                

感謝したくなることが多い日常は、黄金の日々である。

感謝の生活には、心に喜神がある。

人生の日々に、何事にも、喜びと楽しさをもたらしてくれる。

人生において、これに勝る富はないだろう。

              

お金のことばかりを富と考えるのは、心に貧しさがあり、明らかに誤りである。

お金も富の1つには違いないが、そのほんの一部分でしかない。

人間が広大無辺な心を持つ真理からすれば、富は無限だからである。

富をお金に限定するのは、自ら心の貧しさを求めているに等しい。

                 

不治の病にかかったら、どんなにお金を積んでも健康にはなれない。

健康は巨万の富を超えるものであることは、考えれば自明のことである。

そうであれば、健康であることのありがたさに感謝したくなるだろう。

日々、健康に感謝できる人なら、日常に感謝の種を簡単に見つけられる。

             

日常に感謝の種を見つけられる人なら、素晴らしい人間に出会える。

これが人生に計り知れない幸運とツキをもたらしてくれる。

それが結果として、お金という富を手にすることにも繋がる。

           

ある意味では、健康への感謝がお金を含む多くの富をもたらしてくれる、ともいえる。

「幸せ探し」をするには、感謝の種を探すことである。

それは実に簡単であるし、その習慣が人生に多くの富を生み出してくれる。

           

「幸せ探し」をしてみませんか?

いかに自分が幸せに囲まれているか。

いかにありがたいことばかりの日々なのか。

              

「幸せ探し」は、本当の自分に出会える旅でもある。

平凡と思った日々が、幸せを探す冒険とファンタジーの旅になる。

まさに、我々の日々の生活は、ディズニーランドの世界なのである。

             

                

           

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2008年11月13日 (木)

君たちがいて 僕がいた

今朝は、珍しく興奮して、ブログを書きたくなった。

「新聞記事等から見た経営及び企業法務」というブログである。

このブログであるが、以前はあまり更新しなかった。

ただ、9月以降は、以前よりは、更新をするようになった。

              

ところが、珍しいことに、昨日に引き続いて、このブログを書いた。

昨日のブログのテーマは、次のようなものである。

「時代は、幕藩体制から、平成の明治維新体制に変わった」

今日のブログは、「未曾有のクレジットバブルの崩壊」がテーマである。

                 

なぜ、このように、このブログの更新をするようになったのだろうか。

その原因は、税務訴訟チームの担当の弁護士・税理士のブログにありそうだ。

最近、3人の弁護士と1人の税理士が、税務訴訟関連のブログを書き始めた。

それに刺激を受け、ブログを書くことに対する気力が戻ったような気がする。

                 

1人でブログを書き続けるのは、なかなか辛いところがある。

ところが、仲間にブログを書く人が出てくると、1人で書くという孤独感がなくなる。

仲間のブログが更新されているのを見ると、自分も書かなければと思うからだ。

人は人の影響を受けるものだと思うが、いい影響は大いに利用すべきである。

             

「新聞記事等から見た経営及び企業法務」の2日連続の更新は、

ブログを書いている事務所の仲間のお陰であり、心から感謝したい。

高校生時代に歌った舟木一夫の歌を思い出した。

           

「君たちがいて 僕がいた」

そのような心境なのかもしれない。

          

             

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2008年11月12日 (水)

ジャパネットたかたの高田社長は前向き

前向きな人と会うと嬉しくなる。

同類と会っているような気がするからである。

ジャパネットたかたの高田社長は前向きな人のようだ。

     

今、私の手元に、新聞記事の切抜きがある。

11月4日付朝日新聞の夕刊の記事である。

高田社長に対するインタビュー記事である。

前向きな話が満載で、元気が貰える内容である。

              

「不景気でも伸びる会社に」というテーマからしていい。

「厳しい時代が続くと思います。

(注:でも)売上高は昨年に比べて25%の伸びを見込んでいます。」

不景気に負けない力強さが素晴らしいが、続けて言う。

                  

「100年に1度と言われる経済危機は私達も影響を受ける。

だが、何か努力できないか。」

そのために、信用を増し、社員教育に力を入れている、という。

「儲」が「信」と「者」で構成されていることを理解している本物の経営者だ。

                        

そのため、地道に信用を築く必要があるとされる。

その信用を築くには、人間性を高めるための社員教育が必要と考える。

この発想が素晴らしい。

その基礎には、両親の影響があるようだ。

         

「父や母の友たちが集まる店(カメラ屋)だったので、

『礼儀を重んじる』という姿勢が自然と身についた」

信義に通じる礼儀は、信用の基礎となり、儲けを運んでくれる。

               

ジャパネットたかたの成長の理由が、この記事を読んで理解できた。

昨年の売上高は、1161億円だったという。

実に立派な企業であるが、その基礎に、礼儀と前向き発想があるようだ。

益々の成長を祈るばかりである。

           

             

                       

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2008年11月11日 (火)

胃カメラ検査で良いことを発見した

昨日は、胃カメラ検査を受けた。

先日、人間ドックによる検診を受けたが、胃カメラ検査は避けた。

ところが、女房に胃カメラ検査を受けるように説得された。

私の健康を考えてくれての説得だから、納得する他なかった。

           

7,8年前のことであるが、過去に1回だけ胃カメラ検査を受けたことがある。

そのとき、胃カメラ検査は二度と受けたくないと思った。

異物を喉から飲み込むことに、苦手意識が芽生えたからである。

                     

今回の胃カメラ検査では、異物を喉から飲み込んだ記憶がない。

胃カメラ検査を受けていたことも、まったく記憶がない。

記憶があるのは、検査前に薬を飲まされ、注射をされたこことだけである。

いつしか眠りにつき、気がついたら検査が終わっていたのである。

                  

これなら、胃カメラ検査は苦にならない。

検査が終わった後で、医師から、撮影した私の胃の映像を見せられ説明を受けた。

ほとんど問題はないようであるが、胃の一部に軽い潰瘍が発見された。

楽しい日常を送っているつもりだが、それなりにストレスはあったのであろう。

                

反省をすれば、睡眠時間が短いかもしれない。

睡眠時間は、できれば、6時間ぐらいは欲しいところである。

私に軽い潰瘍があることを知った、ある知人から、早速メールが入った。

食べ方が早いから、もっとゆっくり食べるように、という注意である。

                    

睡眠時間、あるいは、食事の仕方等の日常の習慣が病根を生む。

もっと、日常の当たり前の習慣の中にある注意点に目配りが必要だ。

その上で、健康にとって、当たり前の習慣を身につける必要がありそうだ。

身体に悪いものを発見することは、未来の健康のためには良いことである。

その意味では、軽い潰瘍を発見した昨日は良い日だった。

                                     

                  

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2008年11月10日 (月)

「レッドクリフ」は迫力満点

昨日は、息子と映画を見に行った。

ジョン・ウー監督作品の「レッドクリフ」(赤壁)である。

諸葛孔明が主人公かと思ったら、呉の周瑜が主人公らしい。

             

周瑜の妻が絶世の美女である小喬であるが、

曹操が呉を狙ったのが、小喬を得るためだという設定になっている。

小喬役の中国の女優さんは実に妖艶であった。

              

映画のスケールは大きく、戦闘場面等は迫力満点である。

諸葛孔明と呉の重要な将軍の役に、日本の俳優も出演していた。

関羽役の俳優は、先日買ったDVD「ジンギス・ハーン」のジンギス汗役でもある。

見所満載というエンターテインメント型の歴史絵巻である。

              

赤壁の戦いの中核部分は、来年4月上映の後編を見る必要がある。

来年、「レッドクリフ」の後編を見るのが楽しみである。

赤壁の戦いの前哨戦で、素晴らしい迫力なのであるから、

赤壁の戦いの本格的な戦いでの迫力は、大いに期待できる。                       

       

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2008年11月 8日 (土)

同姓同名による誤解

世の中、予想外のことが起こるものである。

当事務所の吉田良夫弁護士に、予想外のことが起こった。

「吉田良夫」と検索すると、弁護士会で懲戒された情報が掲載されている。

もちろん、当事務所の吉田良夫弁護士は、弁護士会で懲戒されたことはない。

                  

ところが、最近、その懲戒情報を見た顧問先から、この点の問い合わせがあった。

そこで、当事務所の吉田良夫弁護士が懲戒されたと誤解されかねない、

ということに気づいたのである。

               

本当に「懲戒を受けた吉田良夫弁護士」は、「当事務所の吉田弁護士」と

同姓同名の別の弁護士会所属の全くの別人の弁護士である。

しかも、「懲戒を受けた吉田良夫弁護士」が懲戒を受けたのが平成6年であるが、

その当時は、当事務所の吉田弁護士は、まだ、弁護士になっていない。

               

それでも、インターネットで検索すると、あたかも、当事務所の吉田良夫弁護士

が懲戒されたことがあると誤解される可能性が十分あるし、現に問い合わせもあった。

そこで、当事務所のホームページでその点を明らかにしたが、そのほかにも、

インターネットの検索会社にも誤解を生む情報の削除への協力を要請した。

                      

同姓同名というと思い出すことがある。

私が弁護士になり、最初に、居候弁護士をした事務所がある。

その代表者である弁護士にも同姓同名の弁護士がいた。

同姓同名の弁護士が先輩弁護士だったので、誤解を避けるため、

別の名前を通称とした。

                    

世の中、想定外のことが起こるものである。

こういうときには、慌てずに、落ち着いた対応が必要である。

当事務所でも、吉田良夫弁護士が誤解を受けて信用に傷がつかないように、

最大限の努力をするつもりである。

              

                 

           

                                       

                     

                

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2008年11月 7日 (金)

世界一短い手紙

世界一短い手紙。

「?」

世界一短い返事の手紙。

「!」

         

これは実話だそうである。

有名な作家とその作家の小説を出版した編集者の手紙である。

「本の売れ行きはどうか」「とてもいいですよ」

これが「?」と「!」に込められている。

         

夫婦喧嘩をした後の夫婦のメールのやり取り。

夫「?」

妻「!」

これはどういうコミュニケーションになるのだろうか。

             

夫「許してくれる」

妻「いいわよ」

こうなら円満でいい。

          

夫「悪いのは僕かい?」

妻「そうよ、そうに決まっているわ」

いろいろな受け取り方がありそうだ。

    

世界一短い手紙は、余韻があっていい。

先日、私が秘書に「?」だけのメールを出した。

秘書の返信は、「先生、それどういう意味ですか?」

これでは、世界一短い手紙やメールは出せない。

                             

       

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2008年11月 6日 (木)

借金の原理原則から現状の経済を考えた

昨夜は、経済の実態に詳しい方と会食をした。

その説明を聞くと、来年度以降の経済は想像以上に悪くなると思える。

原理原則から入って考えると納得できることばかりである。

たとえば、借金は返すもの、という原理原則がある。

          

この原理原則を現在の金融危機から実体経済の危機に応用する。

現在の金融危機は、金融の世界で巨額の借金を梃子にしたことから起こった。

そのため、最終的には、常に、この巨額の借金の返済が問題になる。

つまり、この原理原則から考えると、借金の帳尻を考える必要がある。

           

アイスランドが国家の危機を迎えているのも、国家が借金を返せないから起こった。

つまり、アイスランドでは、借金の帳尻が合わなくなったのである。

現在、金融危機を防止するため、欧米の国家が借金の帳尻を国家がやろうとしている。

そのために、国家にゆとりがないために、国家が新たな借金をするほかなくなる。

              

問題なのは、このような借金を各国家が可能かである。

アイスランドは、やっとの思いでIMFから借金することになった。

いっぺんに多くの国家が、それぞれ巨額の借金をしようというのである。

これがどういうことを意味するのか、経済の素人でも心配になる。

                  

しかも、国家が背負った巨額の借金も、返さなければならない。

このことも視野に入れると、今起きている問題の大きさが分かる。

この借金の元になった金融のバブルは、実体経済を拡大させたのである。

               

そうであれば、この借金の返済問題の帳尻合わせが本格化すれば、

実体経済の巨大な収縮を招くことは確かである。

しかも、現在、それを埋め合わせる新しい産業は生まれていない。

               

現在、借金の最終の帳尻合わせは、まだ、本格的に始まっていないのである。

そうだとすれば、実体経済の悪化が本格的に始まるのは、借金の帳尻合わせが

本格化するだろう来年度以降である。

借金の原理原則から考えると、このように予測する他ない。

                

我々は、このような厳しい予測の下で、それに適応できる準備をする必要がある。

ただ、これを悲観的に捉える必要はない。

危機は、リスクとチャンスとの裏表の関係だからである。

100年に1度のリスクがあるときは、100年に1度のチャンスがあるときでもある。

              

こういう時期は、物ごとの原点に戻る必要がある。

また、同時に、物ごとの原点に戻ることが自然にできる時期でもある。

混乱期、不確定要素が多い時期こそ、人間の真価が問われる。

迷っておかしくない時こそ、迷わない思考を身につけるチャンスがあるからだ。

        

昨夜の会食をしながら、ワクワクした気持になった。

これから、自分の真価を発見する旅をすることができるからだ。

喩えてみれば、ディズニーランドにあるような冒険をするような気持ちだからである。

             

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2008年11月 5日 (水)

もっと早く弁護士のところに来て欲しい

昨日の午前中に、ある中堅会社の社長から法律相談を受けた。

ある取引に関し、訴訟で争うべきかどうかに関してである。

いろいろ事情を聴き、資料を検討すると、訴訟で争える余地はあると判断できた。

ただ、そう簡単に勝訴できる事案でないことは確かであった。

                  

いつも感じることであるが、契約段階でリスクを考えていないことだ。

この段階で、弁護士に相談していれば、契約の意味を知ることができたはずである。

そうすれば、契約をしないか、もっと有利な契約に持ち込めた可能性が高い。

少なくとも、会社を危機に追い込むことはなかったと思われる。

             

法律は、原則として、先手必勝の道具である。

後で何とかしようと思っても、やれることは限られていることが多いからだ。

契約をするときぐらいは、弁護士に相談するのが常識にならないと、悲劇は続く。

法律問題は、素人考えでは駄目であり、早めに弁護士に相談する必要がある。

                     

昨日の相談で、経営に関する事情についても、話を聴いた。

その事情を考えると、訴訟を避けた方が会社の存続には有利だと思われた。

訴訟を選択するのは止めて、相手との話し合いで決着をつけることを進言した。

重要なことは、訴訟を選択することが会社の最良の利益になるかどうかだからだ。

                  

訴訟すべきかどうかの相談の時に、訴訟しないことを進言する場合が多い。

訴訟自体が重要なのではなく、会社なら経営、個人なら人生の方が重要だからだ。

訴訟で争うことが会社にとって有益なら、国とだって争うことを勧める。

訴訟で争うことが会社の最良の利益でない時は、訴訟をすべきでないと進言する。

               

我々は訴訟をするかどうかを生業にしているわけではない。

相談者のために、訴訟が意味を持っているかどうかが重要だからである。

そのため、訴訟で勝訴するかどうかだけでなく、訴訟自体が有益かを考える。

訴訟に勝っても、経営上失うものが多ければ、訴訟自体、失敗したに等しいからだ。

               

昨日の相談者は、最終的には、訴訟をしない方向で検討すると言ってくださった。

社長は、ある公認会計士の方から貰った私の著書を持参された。

「抄録版 豊潤なる企業」である。

会社が危機にある今、この本を読んで涙がでたが、元気を貰った、言ってくださった。

                    

こういう言葉をいただくと、嬉しい。

本を書いたことに意味があった、と思えるからである。

その社長は、元気を出し、今の難局を乗り越える覚悟だ、と強い決意を示された。

その力強い言葉を聞いて、きっと、立ち直ってくれるだろう、という気がした。             

               

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2008年11月 4日 (火)

6枚もののDVDを買いました

一昨日、神楽坂近辺を散歩した。

そのとき、飯田橋に近いところにある本やDVD等を販売している店に入った。

3階に、DVDの売り場があるので、のぞいてみることにした。

いろいろな種類のDVDが所狭しと並べられている。

              

私の好きな西部劇ものは少なかった。

大好きな「007」シリーズが並んでいたが、そこにも、見たいものはなかった。

そこで、韓国や中国のDVDが並んでいるコーナーに行った。

最近、韓国のテレビ番組やDVDを見ることが多くなっている。

                   

韓国の歴史物で欲しい作品があるが、その売り場にはなかった。

「チンギス・ハーン(成吉思汗)」という中国作品のDVDが目に入った。

1話から30話まであるDVD6枚のセット物であった。

躊躇せず、買うことにした。

           

本でもそうであるが、買いたいと思ったものは、買うことが大切だ。

後日、買いたいときには、欲しい本が手に入らない場合があるからである。

本でも、DVDでも、出会いがあるように思う。

出会いを大切にするには、買わない後悔より、買った後悔の方がいいからである。

               

一昨日と昨日、いずれも午後であるが、「ジンギス・ハーン」を見た。

まだ、見終わっていないが、やはり、買ってよかった。

ジンギス・ハーンが敗北を重ねながら成長していく様が描かれている。

英雄の話は、辛酸をなめながら、それを乗り越えていくところが素晴らしい。

               

息子は、「レッド・クリフ」を見てきたようだ。

そのため、昨日は、朝早く、でかけていった。

友人達と待ち合わせをしているようで、浮き浮きしていた。

浮き浮きすることは大いによいことである。

                       

帰宅した時、私に映画見物の土産をくれた。

私が興味を持っている曹操軍の軍旗の飾り物である。

映画の感想は、「なかなか良かった」ということであった。

「もう一度見てもいいな」というので、今度の日曜日に息子と映画鑑賞ができそうだ。

             

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2008年11月 2日 (日)

「赤壁の戦い」と商売繁栄の極意

ジョン・ウー監督の「赤壁の戦い」が、昨日から上映されている。

「赤壁の戦い」は、三国志では最も重要な戦いの一つである。

三国志が大好きな息子は、見たくて、うずうずしているようだ。

私も、三国志ファンのひとりであるから、できれば早く見たいと思っている。

                

三国志に登場する人物には、魅力のある人物が多い。

息子は、諸葛孔明を尊敬しているようである。

私は三国志における好きな人物が変遷している。

若いときは、劉備だったり、関羽だったが、今は、曹操に魅力を感じている。

                

関羽は、蜀の劉備軍の最強の武将であるが、商売の神様になっている。

関羽は、横浜の中華街の奥にある関亭廟に祭られている。

商売が繁盛するには、顧客を含む社会的信用が最も重要である。

したがって、信義の人物の典型である関羽が商売の神様になるのである。

           

横浜中華街は華僑によって商売繁盛がもたらされている。

その華僑は、異国の地で徒手空拳で商売を始めたのである。

異国の地で商売繁盛するには、異国の社会での堅固な信頼を築く必要がある。

そこで、信頼を築くことの重要性を祈りの対象とするため関羽を神とたてのであろう。

                               

社会の信頼の基礎は、信義に置かれるのは万国共通である。

関羽を商売の神にするのと同じ発想を近江商人は持っている。

近江商人の商売の秘訣は、「三方良し」にあるといわれている。

「売り手良し、買い手良し、世間良し」である。

             

商売相手の利益を配慮し、社会の評判にも配慮するというのである。

これこそが、「信義」である。

この三方良しの考え方を欧米企業でも持っている。

その典型が、ジョンソン&ジョンソンである。

          

ジョンソン&ジョンソンの経営理念である「我が信条」に三方良しが書いてある。

「我々の取引先には、適正な利益をあげる機会を提供しなければならない。」とある。

これは、「取引先」が買い手ならば、「買い手良し」を求めている。

           

さらに、「事業は健全な利益を生まなければならない」と書いてある。

「健全な」利益ということは、法令等に違反することで上げる利益を認めない。

これは、企業市民として認められるという「世間良し」を求めているのである。

          

また、同時に、「利益を生まなければならない」と書いてある。

これは、我が社が売り手なら、わが社にも利益がある「売り手良し」が要請されている。

「三方良し」は、わが社の利益を永続的に得ようとしているのである。

                            

大不況、あるいは、恐慌の恐れがある現状である。

この際に、商売の原点である企業が社会に基礎を置いていることを認識したい。

そうすれば、万国共通の成長原理である「信義」を常に考えた経営ができる。

その結果、大不況や恐慌を恐れる必要がないことになる。

              

「赤壁の戦い」を早く見たいものである。

         

              

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