愛は同じ方向を見つめることである
「愛はお互いを見つめあうことではなく、
ともに同じ方向を見つめることである。」
サン=テグジュぺりの言葉である。
見つめるものが、「同じもの」ではなく、「同じ方向」というのがいい。
愛する者のあいだでも、それぞれの個性を尊重するところがあるからである。
「社会の役に立つ」という同じ方向であれば、やることが違っていてもいい。
1人は、医者を志し、他のひとりは、随筆家を目指すのもでもいい。
各々目指すものが違っているが、同じ方向を見ているから、相互理解ができる。
これは友の関係というべきであり、、長続きする友情の関係である。
その意味では、サン=テグジュペリのいう「愛」は友情的なものといえそうだ。
妻は中年の男にとっては友である、という言葉もある。
この中年の男の立場からの愛のイメージなのであろうか。
夫婦の長い生活を考えれば、友情的な愛がもっとも幸福な関係ではなかろうか。
今朝のことであるが、息子の帰宅が遅くなり、午前1時を回っても帰ってこない。
そのことに気づき、女房も私も、各々の思いで息子のことを考えた。
女房は、大丈夫だろうか、という心配の感情で息子を思う。
私は、「これも青春」という思いで、心配とは異なる受け止め方をした。
受け止め方は違うが、息子のことを考えるという方向は同じである。
この例は、愛というには似つかわしくないかもしれないが。
「愛」の本質を私は知らない。
でも、「愛」を考えるなら、長期的に考えたいだけである。
持続性のない「愛」は、やりきれないからである。
その意味で、以前から、前述のサン=テグジュペリの言葉が気に入っている。


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